そばにいる友人を見やると、その目が「何かがおかしい」と訴えていた。視線と身振りで、急いで降りようと伝え合った。

次の広尾駅までのわずかな距離が、果てしなく遠く感じられた。咳き込む声が車内の至る所で聞こえ始めた。周囲の乗客も怪訝な表情を見せている。

「とにかく、早く誰かに伝えなきゃ」

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乗客が次々に体調不良を訴え倒れていった 1995年3月20日

広尾駅で扉が開いた瞬間、友人とともにホームに飛び出した。

「電車を止めてください!」肺の奥からこみ上がる咳を吞み込み、駅員に向かってたどたどしく言葉を繋げた。

「なにかが車内でこぼれて変な匂いがして、みんな息ができないんです」駅員は困惑したようだったが、電車はそのまま走り去ってしまった。

うまく伝えられなかった。無力感に襲われながら、その場を後にした。

「病院へ来てください!」

しばらくすると症状は落ち着いたが、いつもと変わらない街の様子には、釈然としなかった。
あれは何だったのか。私の気のせいだったのか。胸のつかえは消えないままだった。

しかし、1時限目の体育の授業中、突然、1台の車が校内に走り込んできた。近隣の病院のスタッフを名乗る人物が声を上げた。

「8時過ぎの電車に乗っていた方は、病院へ来て下さい!」

病院にはサリンを吸った患者が溢れた 1995年3月20日

それからの一日は、めまぐるしく過ぎていった。

病院に運ばれると、警察官から「不審な人物を見なかったか」と尋ねられた。点滴を受けながら記憶がまだ残っている間に目撃した男の姿を伝え、スケッチを描いた。

一日中、検査を受けたが、特段の異常は見つからなかった。安堵する一方で、言い知れぬ不安は残った。「いつ重い症状が出るかわからない」。そう考えると、怖くてたまらなかった。

現実から目を背け・・・「私は平気」

数日間、学校を休んだ。倦怠感が抜けず、自室に閉じこもった。

再び学校に行き始めると、何気ないそぶりで明るく振る舞った。

「私は別に平気だよ」本当は、不安に向き合うのが怖かった。自分が大事件の渦中にいたという事実を、見ないようにしていた。