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マネジメントを適切に放棄できた人ほど偉くなる

 でも、いわば「俺も苦労したんだから、若いお前も苦労しろ」っていう論調は、日本の体育会系がここ最近立て続けに問題を起こし続けている共通の精神的な病理の根源になっている、と思うのです。ひいては、正しく誰かの努力や貢献を見抜く努力をするのがマネジメントの一分だとするならば、そういうマネジメントを適切に放棄できた人ほど偉くなるのが日本の組織のヤバいところだと思うんですよ。

 とりわけ、881球投げ抜くエースがひとり踏ん張って甲子園で大番狂わせの準優勝をしました、というのはもちろん稀有なことで、確かに称賛されて然るべきです。しかしながら、本来問題とされるべきは「何で一人のピッチャーにそこまで投げさせちゃうシステムのまま現在まで来てしまったのか」ということです。ヤバいでしょ、そういう仕組み。夏休みの期間中に地方大会から甲子園まで全部終わらせなければならないこと、若い野球志願者が凄く減ってしまって9人のスタメンを埋められるだけの野球部員をかき集めることにすら苦労しているチームがあること、そもそもユニフォームやグローブなどを買い揃える必要がありプレイするための家計の負担が他のスポーツに比べて大きいことなどが挙げられると思います。

決勝で時折つらそうな動きを見せる、金足農・吉田輝星投手 ©AFLO

 で、そういうのを改善したり、システムを変更しようとすると、伝統や価値観が邪魔をするようにできてしまっている。まあ、せめてドームでやったらと思うんですけど、普通に野球選手にアンケートを取ったら「みんな甲子園がいいといっている」って当たり前じゃないですか。例えとして良いかどうかは分かりませんが、戦争に行ったことのない人たちに「この戦争に勝って生きて帰ってこれると思いますか?」とアンケートするようなもんです。

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そして酷暑オリンピックがやってくる

 本来、マネジメントとはそういう一人で800球も投げたり酷暑のなかでプレイをしなければならないような状況にしないようにするのが筋論であるし、改革とは時代の流れや価値観の変遷、科学の進歩にあわせてシステムを作り替え、より良い結論に向けて仕組みを変えることが求められていると思うのです。正直、酷暑なので不要不急の外出を控えましょうと呼びかけ、熱中症対策の重要性を説いているはずの新聞社が、こと甲子園の問題になると突然黙り、新聞でもテレビでも甲子園で猛暑でも汗だくになって頑張る高校球児のことばかり報じているのではなかなか解決もむつかしいと思うんですよ。

第100回は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた ©AFLO

 そこにきて、高校野球のような日本国内のイシューだけでなくオリンピックの問題になると国際的なイベントのことになりますんで、この酷暑が本当にオリンピック開催期間中を襲ったらと思うと目の前が真っ暗になるのであります。当たり前のことですが、選手やコーチだけでなく、日本を楽しみでやってきた外国人観光客も次々と倒れることになるんじゃないかとガチで心配するわけです。ヤバいでしょ、それ。