永田町の常識に囚われず、「変人宰相」と呼ばれた小泉純一郎(1942~)。その名付け親であり、第一次内閣の外相を務めた田中眞紀子氏が、小泉劇場の秘話を明かす。
「変人」と評した私が言うのもなんなのですが、小泉純一郎さんを「変わった人だな」と感じたことは、実はそこまで多くありません。
初めて腰を据えてお話をしたのは、私が議員になってからのことです。ある日、夫の田中直紀と一緒に「食事に招きたい」とお話があり、赤坂の中華料理店にて3人で食卓を囲みました。政策など具体的な話があったわけではなく、気を遣って注文を取ってくださる姿も真面目で、とても良い方でした。無邪気で結構おっちょこちょいな面もある。個人的には好印象を受けました。

ただ、永田町で異端視されていたのは確かです。徒党を組まず、宮澤喜一内閣で郵政大臣を務めていた際、郵政事業への民間参入を説いて郵政省と衝突したのも、永田町の常識とはちょっと違っていました。1998年の自民党総裁選では「国会議員と中央省庁の公務員の大幅削減案」を掲げておられました。
総裁選で小泉さんと争った小渕恵三さんと梶山静六さんは田中派の議員で、ふたりの評価は父からよく聞かされておりました。小渕さんは政治家としては癖のない平々凡々とした方で、梶山さんは陸軍航空士官学校出身で有事法制などにこだわりが強い。そこでテレビの報道番組で候補者について聞かれた時に「凡人(小渕)・軍人(梶山)・変人(小泉)」と解説したのです。その年の新語・流行語大賞に選ばれるとは思いもよりませんでした。小泉さんは「私は変人と言われたが、変革する人だ」と言っておられましたから、まんざらでもなかったのでしょう。
総裁選で勝った小渕さんが急逝し、森喜朗内閣が誕生しましたが、内閣支持率は低迷し、国民の政治離れに私も危機感を持ちました。父は同僚議員との共同提出を含め117本の法案を出し、「日本列島改造論」を掲げ総理となり、日中国交正常化を実現させました。政治家が力を発揮すれば国は良い方向へ動き、国民も支持する。それを見てきた私は、国民の政治家への不信感が高まっていく様子を、黙って見ていられる状態ではありませんでした。
2001年の総裁選で小泉さんを支援したのは、はっきり申し上げて他の候補者にはあまり期待できなかったから。橋本龍太郎先生、亀井静香先生、麻生太郎先生らには目新しさが感じられず、国民を振り向かせることはできないと感じていました。そこで私が中谷元先生、平沢勝栄さん、渡辺喜美さんたちに「小泉さんを応援しましょうよ」と呼びかけて、出馬を打診に行きました。
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