「政界の暴れん坊」の異名のまま、永田町からバラエティ番組まで幅広く活躍した“ハマコー”こと元衆議院議員の浜田幸一(1928〜2012)。長男の浜田靖一・元防衛大臣が、父との日々を振り返る。
家庭を顧みず、勝手に自分の人生を生きた人でした。
盆と正月しか家に帰ってこない。それなのに、人の結婚式の仲人や主賓は喜んで引き受ける。ただ式の途中でさっさと帰っちゃうので、私がお袋と並んでよく上座に座らされました。選挙ポスターも、突然等身大で作るって言い出したり。それも、ピースサインして英語で「Always burning」と書いてある。その写真でバッジも作って子供たちに投げてました(笑)。ただ親父はそれを楽しんでいるというより、効果を見ている面がありました。選挙期間中に田んぼに革靴でずかずか入って、泥だらけで握手していました。

いわば演出なのですが、時に血気はそれを超越することもありましたね。自民党の40日抗争でバリケードを突破しているシーンが広く知られていますが、自民党本部で現職の法務大臣を殴りつける事件もありました。言い分はあるんでしょうけど、殴るのはまずい。ただ本人は「俺が悪いわけじゃねえだろう」という態度なので、周りが頭を下げに回って。周囲からすれば「面倒くさい人」でした。
そんな親父も1992年に、体調を崩し入院しました。虚血性貧血で言葉に詰まったり、肝臓癌の疑いもあったりということで、次の選挙には出馬しないと言い出した。後援会の皆さんの意見も聞いて、私が後継者として立候補準備に入りました。

ところが薬が効いたのか、親父が段々元気になってきたんです。癌らしきものも消えてしまった。翌年内閣不信任案が可決されて、衆議院が解散してもまだ正式に引退を発表しない。お袋も気を揉んでいるので、親父のところに行きました。「親父さん、この前話した通り僕は出馬させてもらいます」って言ったら、「おう、お前も頑張れ。俺もやるから」と。私は「わかりました」って席を立って出て来ちゃった。そして双方の選挙準備が始まったんです。その後、後援会や支援者が間に入ってくれて、僕も頭を下げて、親父は出馬を取りやめました。
そんな世代交代だったので、その後が大変でした。親父はまだ議員気分ですから自民党の部会に勝手に出てきて、経緯も分からないままに言いたいことを言って帰る。残された私が、先輩議員に頭を下げて回るということが続きました。親父はなかなか私を議員として認めてくれませんでしたね。私も初めの頃は黙っていましたけど、いつまでも放置できず言い合いもしました。お互いに「てめえ、この野郎!」って(笑)。お袋には「あなたが家族の中で一番お父さんに似てる」って言われます。
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