政治家として辣腕を振るい、歯に衣着せぬ発言で時に物議を醸してきた前の名古屋市長で衆議院議員の河村たかし(1948〜)。元東京都特別顧問で、高校の同級生・小島敏郎氏が知る、名物議員の姿勢とは。
河村たかしには、周囲に左右されない“鈍感力”がある。それは、愛知県立旭丘高校時代から変わっていない。あれは3年生の夏休み。当時はエアコンが普及していなかった。風が通る高校の4階に集まって大学受験の勉強会をしていると、高校のすぐ近くに自宅のある河村がステテコ姿で「ようやっとるなぁ」と様子を見に来た。「勉強せんと落ちるぞ」と言っても馬耳東風。案の定受験に失敗し、一浪で一橋大学に入学した。
大学卒業後、実家の古紙回収業に従事。元民社党委員長の春日一幸さんの秘書となり、1993年の衆議院議員選挙で初当選を果たした。

再会は、98年の藤前干潟の保全。私は当時、環境庁企画調整局企画調整課長で廃棄物のリサイクル制度作りに取り組んでいた。そこに持ち上がったのが、渡り鳥の中継地である藤前干潟を名古屋市のごみ埋立て処分場にする計画だ。
干潟保全のため、海面埋立て処分の許可権限を持つ運輸省(現・国土交通省)港湾局と連携を密にした。他方で、名古屋市にはごみの減量、リサイクルが必要だが、市も県も議会は与野党とも干潟埋立てに賛成。計画再考の糸口がない。
そこで、声を上げてもらおうと頼んだのが、野党議員の河村だった。彼は二つ返事で引き受け、「野党だけじゃいかん」と、自民党の大村秀章さん(現・愛知県知事)に声を掛け、賛同を取り付けた。与野党の地元国会議員が藤前干潟保全を唱えたことで、市と県の議会が一枚岩でなくなり、ようやく、干潟埋立て白紙撤回への道が開けた。
河村は、「ビンロウ(小島)に言われてやったけど、俺は反乱軍になっちまったでぇ」と、当時の活動について今でも嬉しそうに話すが、2人とも地元の行政・与野党一致の大勢に抗するのは大変だったと思う。
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