酒井美意子 ナイトクラブ「不死鳥」

保阪 正康 昭和史研究家
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旧加賀藩前田家第十六代当主で陸軍大将、前田利為(としなり)侯爵の長女、酒井美意子(1926〜1999)は、皇室評論やマナーをめぐるエッセイで独特の美意識を綴り人気を博した。酒井に取材した保阪正康氏が語る。

 彼女のことを時に思い出すのは、かつて話を聞いた際の気丈な語り口と身にまとう独特の品位が印象に残っているからであろう。

 酒井の生涯は、加賀百万石の「お姫さま」だった旧華族の女性が、戦前、戦中、戦後を生き抜いた数奇な道筋と言える。華族とは、明治維新によって幕藩体制が解体した後、かつての大名と公卿をあわせて創設された近代日本の貴族階級である。

 酒井の軌跡を辿り直してみると、1926(大正15)年、東京の本郷に生まれ、幼少時をロンドンの日本大使館近くで過ごしている。当時、父親の前田利為は駐英大使館附武官であった。帰国後に入学した女子学習院で昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王と同級生になり、皇居内に招かれるようになる。そこで天皇家の生活様式に内在する「明るい静穏と侵し難い気品」(酒井の自伝『ある華族の昭和史』)に接したことが、戦後、酒井が振る舞いの美しさを説く原点となった。

酒井美意子 Ⓒ文藝春秋

 父・利為は、陸軍士官学校では同期の最優秀であった。十七期の同期生・東條英機とは犬猿の仲であり、常々、酒井に「東條は宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」と言っていたそうだ。盧溝橋事件後、主戦論者だった東條に異議を唱えて追い落としに遭い、予備役に編入される。その後、再召集され、1942(昭和17)年、ボルネオ守備軍司令官時に飛行機事故で死亡している。

 対米英関係が悪化してからも自宅に各国大使を招いて午餐会を開いて友好関係の維持に努めた。利為は、青年期に西欧に留学して国際感覚を身に付けていた。また旧加賀藩の華族は、天皇家とも繋がって独自の社会階層を形成していた。そこで培われた、必ずしも国策と一体化しないリベラリズムは、酒井に受け継がれていったように思う。

 これは酒井からの直話であるが、西欧で革命に近い情勢を見てきた利為は、日本でも上層階級が庶民の怨嗟の対象になりかねないと、娘たちに華美な暮らしを戒めたという。酒井は、父の言を受け止めつつも、皇室の「質素な美」こそは、天皇と国民を結びつける秘訣として継承されてきたと考えていた。

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source : 文藝春秋 2025年8月号

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