榎美沙子 ピンクのヘルメット

田原 総一朗 ジャーナリスト
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1970年代半ば、ピンクのヘルメットを目印に、女性の権利向上を訴えて「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)」を率いたのが、榎美沙子(1945〜?)。ジャーナリストの田原総一朗氏(91)の妻・節子氏(2004年に逝去)は、ウーマンリブ団体「ウルフの会」で、榎と活動を共にした。

 僕は節子に全面的に惚れて心から信頼していたから、節子のやることなら大賛成でした。日本テレビのアナウンサーだった節子が「容姿の衰え」を理由に配置転換されるくらい、70年代の女性差別は極端でした。ところで、節子が榎美沙子さんを褒めるのも、悪口を言うのも聞いたことがありません。くわしく聞いたことはありませんが、彼女の活動に賛同していたわけではないと思います。

 節子や、朝日新聞記者の松井やよりさんたちが、アメリカのリブ運動資料の翻訳出版のためにウルフの会を結成したのは、70年です。京都大学薬学部を卒業して医者と結婚していた榎さんは、翻訳を手伝いたいと言って会に参加して、やがて決裂したらしい。一緒に活動していた秋山洋子さんの著書『リブ私史ノート 女たちの時代から』によると、榎さんがウルフの会の名前を無断で使って「ピルを解禁せよ」と題したパンフレットを販売し、しかも非を認めなかったのが原因とのことです。

榎美沙子氏 Ⓒ文藝春秋

 榎さんが中ピ連を結成するのは、その後の72年。「妊娠・出産を決定する権利は女性にある。女性解放の条件を作るための第一歩が、ピル解禁だ」という主張は、いまの時代から見れば真っ当でした。

 ところが2年後に「女を泣き寝入りさせない会」という下部団体を作ると、一方的に離婚を決めて慰謝料を払わない夫や不倫を働いた夫が働く会社へ集団で乗り込み、シュプレヒコールを上げて糾弾する活動を始めました。団体名は別でも、榎さんが中心になって中ピ連のピンクのヘルメットをかぶってやったわけです。マスコミ的には画になりますから、世間の注目を集めながら活動は過激になっていったんです。

 僕には、榎さんについて戦闘的な女性だというイメージがありませんでした。当初は、よくやっているな、頑張ってほしいと思っていました。テレビで歌を歌ったりドラマに出たりしたところまでは、宣伝のためだと理解できました。

 ところが76年には突然、「女性復光」という宗教を始めた。天照大神が教祖で、オスが子育てをするタツノオトシゴがご神体だというんです。女性解放の運動家が宗教を始めるなんていうのは、とんでもない話でした。

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source : 文藝春秋 2025年8月号

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