佐治敬三 日本にも社交場を

堤 剛 娘婿・チェリスト
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社長としてサントリーを牽引する傍ら、文化事業にも多く取り組んだ佐治敬三(1919〜1999)が音楽界に残した功績を娘婿でチェリストの堤剛氏が解説する。

 私が寿屋(現・サントリー)の2代目社長である佐治敬三の知遇を得たのは、昭和45(1970)年度の鳥井音楽賞(現・サントリー音楽賞)の授賞式がきっかけでした。創設2年目でしたが、民間企業を母体とした団体が主催する音楽賞は世界的にも大変珍しく、注目を集めました。芥川也寸志先生など佐治と親交の深かった音楽界の重鎮も参列され、受賞者でチェロ奏者の私をはじめ、若き音楽家を応援する空気に満ち溢れていました。

 妻との縁も、鳥井音楽賞がきっかけです。受賞記念コンサートが大阪の毎日ホールであり、演奏会後の食事会には佐治の長女も出席していました。その後昭和53年に結婚し、佐治は義父となりました。

佐治敬三 Ⓒ文藝春秋

 寿屋を創業した鳥井信治郎の次男の佐治(母方の縁者と養子縁組を結び佐治姓となった)は、大阪帝国大学理学部に進学、化学者になる夢を抱いていました。ただ、兄が亡くなったこともあり、昭和20年に寿屋に入社します。佐治が入社間もない頃に手がけたもののひとつが、家庭向け科学雑誌「ホームサイエンス」でした。しかしこの発案に対し、信治郎はえらく怒ったそうです。曰く「お酒の会社が雑誌を出すのはけしからん」と。

 佐治はその頃から、洋酒を製造する、売る、嗜むだけでなく、お酒にまつわるすべてをひっくるめて「文化」として考えていたのでしょう。洋酒の会社として、欧米の文化を日本に根付かせたいという思いも、彼の本懐としてあった。その思いが昭和31年の文化・芸術雑誌「洋酒天国」の発行へと結実しました。だからこそ、のちに小説家として大成される開高健さんのような傑物が宣伝部で活躍でき、山口瞳さんの「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のような名キャッチコピーも生まれたのではないでしょうか。

堤剛氏 Ⓒ文藝春秋

 昭和36年に寿屋の社長となった佐治は翌々年に社名を「サントリー」に変更、これまでのウイスキー事業に加え、新たにビール事業にも挑戦していきました。当時と、グローバル企業となった現在の事業規模は比べるべくもありませんが、当時から世界を視野に入れた企業であったことは間違いありません。

 自ら先頭に立って行動する人でした。ビールを発売した時には、社長自ら法被(はっぴ)を着て店頭に立って販売し、第九の合唱に参加するとなれば、専門の先生に習って舞台に上がっていました。凝り性で、本物志向でもあったため、絵や写真をやるにしても、その世界の一流の人と交流を深めていました。企業人として一流だった彼は、異なる分野の一流の方々とも、相通ずるものがあったのでしょう。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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