吉田秀和 面白い演奏家いる?

西川 彰一 NHK交響楽団芸術主幹
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日本の音楽批評の第一人者、吉田秀和(1913〜2012)は、41年に亘り、NHK-FMのクラシック音楽番組「名曲のたのしみ」のパーソナリティを務め、薫り高い文章だけでなく、語りでも読者を魅了した。番組の制作に携わった西川彰一氏が知られざる素顔を明かす。

 昭和46(1971)年に始まった長寿番組の担当ディレクターになったのは、1997年のことです。先生は当時すでに83歳。細身な方でしたが、年齢を感じさせない早口で頭の回転も速い。こちらがモタモタすると、イラつき始めるので、ついていくのに必死でした。

 番組が愛されたのは、語りのうまさだけでなく、番組が「開かれた対話」になっていたからだと思います。先生はもちろん音楽に深い造詣を持っているのですが、オタク的な情報に拘泥することはありませんでした。先生が書かれる批評と同様、深い教養を元に目の前の音楽をどのように受け止め、何を感じ、考えたのか。それを聴き手に向かって伝えることに意を尽くし、暗に「あなたはどう思う?」と常に問いかけていました。私も直によく「あなたはどう思う?」と訊かれたものです。

 語るスタイルも自由で、原稿を読む途中で先生の思索が始まり、10秒近く沈黙が続くこともありました。でも、その「間」で聴き手に思考を促していたのです。話が長引いて、曲を流す時間を十分に取れなくなり、「最後まで(曲を)聴けないかもしれませんが、じゃあこれで」ということもありましたが、それも「芸術とは完結したものではない」という意識の表れだったかもしれません。

吉田秀和 Ⓒ文藝春秋

 収録は通常1か月半に一度、おおむね7回分をまとめて行ないました。その日が近づくと、打ち合わせの電話をかけるのですが、これが毎回、緊張の時間でした。右手にペンとノート、左手にストップウォッチ、机には作品名辞典を広げ、パソコンを開く。話に出そうなCDも山積みにし、準備万端で臨みます。電話口に出た先生が「今やる? ちょっと待って」と言って、いったん受話器を離れ、また戻る。すると、一気に打ち合わせがスタートします。「リヒャルト・シュトラウスの第1回。初回だから例によって見本市。交響詩『ドン・ファン』、セルとクリーブランドで15分52秒、ベーム、ドレスデンだと17分6秒……」といった具合です。左手で曲の合計時間を計り、右手で書き取る。「これでどう?」と問われたら、「ベームの演奏にした場合、話の時間が7〜8分しか取れません」といった具合に即答しなければいけません。

 そんな緊張が緩むのは、収録の合間の休憩時間です。「この録音、よかったです」と先生に伝えると、「どこがよかったの?」とさらに感想を求められました。また「最近聴いた中で、面白い演奏家いる?」とも。何人か挙げると「音源持ってこられない?」と来る。年齢を重ねても、いつまでも好奇心旺盛で、新しい出会いを求めていました。

 出演料の支払いには厳格でした。休日の関係で振り込みが月を跨いでしまい、一度だけ「契約違反だ」とすごい剣幕で𠮟られたことがあります。批評家として筆一本で立たれている独立した個人の気概と誇りを感じました。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

genre : ライフ 昭和史 音楽 ライフスタイル 歴史