新社長に話を聞く前に、どうしても訪れたかった場所
4月に日産自動車の新社長となったエスピノーサ氏に、筆者は6月12日に単独でインタビューした。その内容は、『文藝春秋』8月号に掲載されている記事(「エスピノーサさん、本当に再建できますか」)に詳しく書いたのだが、新社長に話を聞く前に、どうしても訪れたかった場所があった。
旧座間工場(座間市)の一角にある「日産ヘリテージコレクション」だ。日産関係者たちが「倉庫」と呼んでいるその場所には、戦前の創業以来、日産が手掛けた車が400台以上もピカピカの状態で保管・展示されている。このうち7割程度は、日産の技能者有志で構成される「日産名車再生クラブ」によって整備され、いまも走らせることができる。

「倉庫」に入ると、かすかに油の匂いが漂っている。展示された車両で最も古いクルマは、折り畳み式の幌を付けたオープンカー、1933年製「ダットサン12型フェートン」だ。戦後間もない1947年には、電気自動車(EV)「たま」を世に送り出している。当時は石油不足に苦しんでいたが、余裕のあった水力発電の電力を活用するために開発され、1951年ごろまでタクシーとして使用されたという。

筆者の記憶にも新しい「ハコスカ」(スカイライン)、「シルビア」、「ブルーバード」、「フェアレディZ」といった、日産が誇る代表的名車もずらりと並んでいる。1964年の東京五輪で聖火搬送車として使われた「セドリック・スペシャル」も展示されている。
可能性のある商品を「育てる力」を喪失した
「ヘリテージコレクションは、一般にあまり知られていないので、日産ファンにもっと知ってもらうべき」と日産の元役員は語る。そして、世に送り出してきた名車を思いおこしながら、次のようにも述懐するのだ。
「日産はかつてのような輝くクルマが出せなくなった。その理由は、市場調査能力が弱く、顧客の声と商品戦略が一致していないからだ」
付け加えるなら、せっかく生み出した可能性のある商品を、育てる力を喪失してしまったとも言える。たとえば、1982年発売の「マーチ」は、トヨタの「ヤリス」や、ホンダの「フィット」より10年以上も前に開発され、小型車市場の開拓に先鞭を付けた。ところが、カルロス・ゴーン氏が経営トップ当時、生産をタイに移管したことが影響して商品力を落とし、2022年に国内販売が終了した。さらに、「リーフ」は世界初の量産EVとして2010年に市場投入されていたのに、後発のテスラやBYDのEVに追い抜かれた。
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