六代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)(1885-1949)は時代物、世話物、舞踊、新作あらゆるジャンルを得意とし、近代的な心理表現を取り入れた新演出の多くが、定型となって現代まで残っている。没後、歌舞伎役者として初の文化勲章が贈られた。歌舞伎舞踊作家の萩原雪夫(はぎわらゆきお)さん(1915-2006)は終戦直後、六代目と共に「通勤」していたという。
終戦を疎開先の辻堂で迎えたころ、六代目菊五郎が近所に疎開しているという噂を耳にしました。当時、六代目と言えば、歌舞伎界随一の名優で大変な人気がありました。老若男女すべて得意な役者で、私も恥ずかしながら“追っ掛け”の一人でした。「鏡獅子」なんて後ろ姿が娘そのもの。後ろ姿を見せるだけで拍手が来ましたよ。そんな役者は、後にも先にも六代目をおいて他にいません。

終戦のとき私は新聞社に勤めていました。志望動機は、何より六代目菊五郎に会うため。演劇担当記者になるのが一番早道だろうと考えたのです。そのご当人が近くに住んでいるというのですから、何が何でも六代目に会いたくなってしまった。
六代目の師匠だった九代目市川団十郎の別荘が近くにありましたので、そのあたりだろうと目星をつけ自転車に乗って、見た目の立派そうな家を探してみました。しかし「尾上」や本名の「寺島」といった表札は見当たりません。さんざん考えた挙げ句、辻堂駅で待ち伏せしようと思いついたのです。
毎日のように時間をずらして駅で待って数日後、辻堂駅のホームで素顔の六代目に出会いました。嬉しかったですね。年が明けてもう2月頃になっていましたから、帽子を被りコートを着ていました。かなりお洒落で、身だしなみはきちっとしていました。ちょっと太っていましたが、ゆったりとした雰囲気を持った大会社の重役といった風情で、ホームに立っているだけで貫禄は十二分にありましたね。
重役に見えたのは、鞄持ちが2人ほど付いていたせいかもしれません。その中の一人は後にテレビで「銭形平次」を演じる大川橋蔵さんでした。
長年の憧れである人に初めて身近に会ったというのに、記者という職業柄か少し緊張はしましたが、不思議と物怖じしませんでした。名刺を出して名乗り、「いつもお芝居を拝見しています」と伝えたと思います。突然でしたので、六代目はすこし驚いた様子でしたが、微笑みを浮かべていました。さすが役者でした。優しい顔の中にもキリッとしたところがあった。同行していた夫人に「この人、菊五郎のファンだって」と言ったのをよく覚えています。
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source : 文藝春秋 2000年1月号

