大正・昭和時代に活躍し、初代中村吉右衛門とともに「菊吉時代」を築いた歌舞伎役者・六代目尾上菊五郎(1885〜1949)。演劇評論家の渡辺保氏は、少年時代に目にした舞台の上のその姿を忘れられずにいる。
私がはじめて見た歌舞伎は、六代目菊五郎の舞台だった。もしあれが六代目でなければ私は歌舞伎を好きにならなかっただろう。それほど六代目は魅力的な役者だった。
昭和16(1941)年12月、太平洋戦争が始まって、銀行員だった私の父は、赴任地インドからの引揚船で命からがら帰国した。喜んだ祖父が一家を歌舞伎座へ連れて行った。私は数え年6歳。六代目が昭和を代表する名優であることはむろん芝居の筋もろくに分からなかったが、そういう少年の心を射止めたのは六代目の変身の鮮やかさであった。この時六代目は「義経千本桜」の四の切の忠信と狐忠信の二役を演じて軽妙を極め、次に「羽根の禿(かむろ)」で廓の少女と裸の願人坊主の「浮かれ坊主」の二番を早替わりで踊っていた。
六代目の狐が舞台下手の柴垣を飛び越えて入った時には、満場感嘆の渦、私の隣で見ていた祖母も「あれで還暦(実際は56歳だったが)なんだからねえ」と嘆声を上げた。その後六代目ほど鮮やかに見せて飛ぶ人は誰もいなかった。
「羽根の禿」では私と同年配の少女が羽根を突くあどけなさ、羽根が門松に引っ掛かったのを木履(ぽっくり)を重ねた上に乗って落とそうとする可愛らしさ、それが一転して裸の坊主になる。下品だけれども粋で胸がすく面白さ。その時は粋に見えるのはどうしてか分からなかったが、子供心にもカッコよさはよく分かった。
忠信から狐へ、禿から浮かれ坊主へ。その変身の鮮やかさは、今日の少年たちが仮面ライダーの変身を喜ぶのと同じであった。
その頃の歌舞伎座は今のそれと違って、仮花道が常設であった。しかし六代目は本花道ばかり使っていて、私の座っている東の桟敷の目の前の仮花道へは一度も来ない、何でこっちへ来ないんだ、もっと近くで変身を見たいとどんなに思ったことか、それも変身の秘密をもっと近くで見たいからだった。その変身ぶりがあまりにもカッコよかったからである。
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