幕が引かれたとき、「これからだ」と思いました。今年の6月、私が2019年から芸術監督を務め指導してきた「ハワイ歌舞伎」初の里帰り公演が岐阜の相生座で終わったときのことです。ハワイ歌舞伎100年の伝統を次の100年に繋げていかなければならないという重責を感じたのです。
ハワイ歌舞伎の歴史は明治維新後にハワイに移り住んだ日系移民とともに始まります。その望郷の思いに応えて旅回りの一座が多数招かれ、当時は幟がはためく芝居小屋がハワイにはいくつもあったそうです。そこで培われた伝統は、やがてハワイ大学で受け継がれていくことになります。そのきっかけは、ハワイ大学の日系学生たちが、白人学生が西洋演劇をやるように自分たちも祖国の歌舞伎をやろうと、1924年に「The Faithful(ザ フェイスフル)」(忠臣蔵)を上演したことでした。その後、歌舞伎はハワイ大学演劇舞踊学科の正式な授業の一環として数年ごとに上演されてきました。今年がハワイ歌舞伎100周年とされているのはそのためです。
私は大先輩の二代目尾上九朗右衛門のおじさま、二代目中村又五郎のおじさまがハワイ大学で歌舞伎の指導にあたられていたことを知っていましたが、ハワイ大学に留学経験のある妻からも27年前の結婚当初よりハワイ歌舞伎のことを聞かされていました。ルームメートが演劇舞踊学科の学生だったそうです。
私たち歌舞伎俳優は、江戸時代から脈々と受け継がれている芸を先輩方から教えていただくことで、一人前になることができます。先輩方は出し惜しみすることなく、聞けば聞くほど芸を仕込んでくれました。ですから、私たちはいつもその恩返しを何らかのかたちでしたいと常に思っています。ハワイ歌舞伎のことを聞いたとき、何かお役に立ちたいという思いが自然と湧いてきたのを憶えています。
その漠然と抱いていた思いを実現するにあたって背中を押してくれたのは妻でした。妻の尽力のおかげで2016年に私たち夫婦は、ハワイ大学で歌舞伎の指導をしているジュリー・イエッツィー教授を訪ねることができました。教授からハワイ歌舞伎の記録映像を見せられて、その完成度の高さに驚かされました。教授はちょうどその頃、11年を最後に途絶えていた公演を日本で復活させようとしていました。そこで私が「手伝わせていただけたら、ありがたい」と申し出たところ、ご快諾をいただき、19年6月にはワークショップの指導を始めました。ところが翌年から運悪くコロナ禍が始まり、再開できたのは23年春。今度は24年の100周年記念公演を明確な目標に掲げ、入門編の授業のために現地に指導に赴きました。同年秋には2人の弟子とともにオーディション後、2カ月間稽古をしました。24年春には現地での公演を目前に1カ月以上指導を行い、市川高麗蔵さんも仕上げに加わりました。連日深夜までのリハーサルの後、4月にハワイ大学内のケネディーシアターで全6回公演の初日の幕が開くのを見届けました。万雷の拍手で溢れかえる劇場に感無量でした。
日本の大歌舞伎の俳優が芸術監督として指導しているのですから、とにかく自分の名に恥じないものをお見せしようと尽力しました。
取り組んだ演目は「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」。若い娘に変装した泥棒・弁天小僧の物語です。「浜松屋見世先の場」「浜松屋蔵前の場」「稲瀬川勢揃いの場」を上演することにしました。
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