「前畑がんばれ、前畑がんばれ、あと2メーターでターン……」。1936(昭和11)年、ベルリン五輪の女子200メートル平泳ぎで地元ドイツの選手とデッドヒートを演じ、日本人女性初の金メダリストになった兵藤(ひょうどう)(旧姓・前畑(まえはた))秀子(ひでこ)(1914―1995)。その生涯を二男の正時さんが語る。
母はベルリン五輪の翌年、軍医として戦地にも赴いたことがある医者の父と結婚しました。兄と2人兄弟ですが、父や母の背中を見て兄は歯科医に、私は水泳関係の道を選びました。
私は中学3年の春まで野球をやっていて岐阜県大会の決勝に進出しましたが、チームメートのエラーで敗れてしまいました。母にその口惜しさを話すと「チームプレーとはそういうものです」と個人プレーとの違いを教えてくれ、水泳を勧められたんです。それからマンツーマンの特訓が始まりました。
その年、私はNHK主催の中学通信競技大会で全国6位の成績をおさめることができましたが、母の指導はそれは厳しいものでした。「苦しくて逃げたい気持ちでしょうけど、今やることが大切よ」と励ましてくれました。泳ぐ人の心理を知ってるだけに、コーチを受ける側はなかなか逃げられないんです。

なにしろ「人より多く練習すれば、いい思いができる」と、努力をすれば何でもできると考える人でした。母が現役のときは室内プールなどありませんから、春先や秋はドラム缶の焚き火で暖をとり、夜は束ねた懐中電灯を照明がわりに1日2万5000メートルも練習をしたそうです。
母の偉大さは子供心にも焼き付いていました。学校や公営のプールがオープンすると、母はよく初泳ぎに招かれていました。父は診察がありますから幼い兄と私は会場まで一緒に連れていかれました。母がプールに飛び込むとあの河西三省アナウンサーの「前畑がんばれ!」のレコードが流れるんです。小学校の教科書にも「前畑がんばれ!」は載っていて、先生から朗読をさせられて誇りに感じたとともに困惑したのを覚えています。母はラジオやテレビから「前畑がんばれ!」の録音が流れてくると懐かしそうに聞いてました。
母はロサンゼルス五輪の後に引退を考えていました。アメリカに連れていって貰えるだけで光栄だと思っていたところ、いつのまにか決勝に残り、銀メダルを手にしてしまった。母は満足だったそうです。
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source : 文藝春秋 1998年12月号

