いま知っておくべき論点を、専門家がコンパクトに解説する「文藝春秋オピニオン 2026年の論点100」。この人気ムックの記事を「文藝春秋PLUS」でも紹介します。
近代的な意味で「憲法」をつくるとは、「自由」のための基礎法をつくることにほかならない。国家権力を、その作用範囲を区切って複数の人や組織に分配し(授権規範)、特定の人や組織が権力そのものを独占できなくすること。裏からいえば、各種の国家行為に限界を画して、自由の領域を国民に確保すること(制限規範)。これらは、かねて「憲法」が「憲法」であるための、必要条件とされてきた。それは、現代日本の復古主義者が尊重する大日本帝国憲法の場合も、同様である。
フランス人権宣言16条のいう、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会」だった江戸期日本は、250年にも及ぶ平和の維持を可能にした高度の統治システムを備えていたにもかかわらず、国際社会から一人前の「文明国」とは認められなかった。関税自主権が認められなかったのみならず、外国人を日本の法で裁くことができなかったのも、そのためである。君権を制限し権力を分立し、臣民に初めて自由を確保することをめざした帝国憲法の制定は、普遍的な「文明」へのコミットメントを国際社会へ向けて表明するための、切り札であった。
もちろん、ゲーテのいうように、我々が愛情を向けるのは個別性に対してだけで、普遍を利用はしても普遍を愛することはないのかもしれない。価値観の異なる人々が共存できるよう、あらゆる価値観に対してニュートラルな態度をとる、無色透明な立憲国家のために献身を求めることは難しく、権力の「制限」や「否定」を定めるばかりの憲法典も、情熱の対象になりにくい。憲法体制の永続を望むなら、特殊的で肯定的な熱源を盛り込む必要があり、それらが、「人類普遍の原理」(日本国憲法前文)に基づくはずの各国の憲法典を、それぞれに個性化させてきた。アメリカ独立戦争を通じて初めて人権条項を成文化させたのは、信教の自由条項に結実したピューリタンたちの信仰の強度であったが、各国で人気が高いのは、19世紀半ばから20世紀前半にかけて勃興した新思潮としての、ナショナリズムとソーシャリズムである。それらが、愛国心や社会正義により、憲法に対する国民の忠誠心を担保してきた。これに対して、帝国憲法起草者が頼ったのは、「皇室」の歴史的連続性であった。
伝統社会に変動を惹き起こす、発火装置としての性能において、「復古」は「進歩」に劣らない。改革派の政治家たちが、今日でも「復古」に飛びついてしまうのも、変革の起動キーとしての性能の良さに一因がある。2012年に発表された自民党の憲法改正草案が、石破茂氏らによる文民統制つきの国防軍創設構想や、官僚派の政治家が推進するグローバル化・デジタル化に即応した制度改革案について、その推進力を「復古」の熱源に頼らざるを得なかったのは、教訓的である。
けれども、それら個性化要因は、近代的な意味での「憲法」の本質とは直接関係がなく、憲法原理の実現を阻害することも少なくない。たとえば1925年に、「国民参政」を掲げる普通選挙制と、皇室中心の国体と私有財産制度の護持のみを目的とする治安維持法とが、表裏一体の形で制定されたのは、大正期に勃興したナショナリズムの力を動員するとともにソーシャリズムを排除して、憲法体制を一層安定化させるためだったはずである。ところが、治安維持法の運用が肥大化して、政府批判の自由そのものが窒息し、戦争への道にブレーキをかけられなくなった結果、ちょうど20年後に、天皇自らの手で旧憲法体制に終止符を打たざるを得ない事態をもたらしたのである。
新たな国民的基盤の開拓が課題に
これに対して、戦後の日本国憲法の場合、政府の憲法問題調査委員会が憲法改正に後ろ向きであったことが、GHQの直接介入を招いてしまい、おかげで「人類普遍の原理」に留保なくコミットできるようになった反面で、その起草過程の傷のゆえに、ナショナリズムの力を動員できなくなった。その意味で短命を宿命づけられた憲法であり、実際1949年頃には、早くも憲法改正が既定事項であるかのように語られていた。それにもかかわらず戦後社会に定着して旧憲法を上回る長命を誇るに至ったのは、自民党がナショナリズムに訴えて自主憲法制定の必要性を説いたにもかかわらず、新憲法が、ナショナリズムの力を借りずに、それとは別の国民的基盤を開拓するのに成功した証しである。日本国民における広汎な戦争体験が、日本国憲法の平和主義への広汎な支持につながった。そして広汎な自由を下支えしてきたのである。
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