日本企業が関わるM&Aが過去最高額を更新する今、個々の企業、ひいては国家はどのようにM&Aに向き合うべきなのか――。元国家安全保障局長の北村滋氏が考察する。
【本記事のトピック】
3 ステークホルダーとしての「国家」――企業法に浸透する安全保障の観点からの規律
5 ファイナンスを通じた救済の設計――民間の経済安全保障ファンドの意義
2025年の日本企業が関わるM&Aは、約3500億ドル(350B、約55兆2000億円)に上り、過去最高を更新した。これに伴い、日本企業をめぐる支配権市場(企業の事業・資産・技術・インフラに対する実質的な支配権が取引され、争われる市場領域)には数々の動きが見られた。外資からの買収提案は、表に出る案件だけでも増加し、水面下ではさらに様々な動きがあることは想像に難くない。
国巨(ヤゲオ)による芝浦電子の買収が成立し、アリマンタシォン・クシュタール(ACT)によるセブン&アイ・ホールディングス(セブン&アイ)への買収提案は撤回に至った。結果は対照的だったが、共通して意識されたのは、「日本の企業支配権市場が、地政学と無関係ではあり得ない」という冷厳な事実である。

この現実を、制度の側から、そして企業の側から、どう受け止めるべきなのか。まず、幾つか強調しておかなければならない点がある。
第一に、日本の強みである技術をはじめとする無形資産が市場で過小評価され、外資からの買収動機を生んでいること。
第二に、これらの動きに対し外国為替及び外国貿易法(外為法)の一本足では守りきれないこと。
第三に、国家は「外部の規制者」ではなく、企業を成り立たせる制度そのものとして、また、ステークホルダーとして位置付けられるべきだということ。
第四に、「守り」は、単に公からの規制や助成だけでは十全ではなく、民からの資本形成・ファイナンスを含む「救済」や「抑止」の設計を伴わなければならないこと。
第五に、買収の資本の流れを見抜くインテリジェンスと、それを集約する「日本版CFIUS(外国投資委員会)」が必要であること。
そして、第六に、同盟国資本は「味方」とは決めつけられず、ファンドの最終エグジット管理こそクリティカルだということである。
1 「安い日本」と技術等の過小評価――買収動機の核心
M&Aに経済安全保障の観点が重要になった最大の理由は、「日本には独自技術や高い技術を持つ企業が多いのに、株価がそれほど高くない」という一点に集約される。市場評価が相対的に低ければ、買収は合理的な投資判断になる。とりわけ「企業価値が100億円を切っていて、安全保障に関わる高い技術を保有する」企業は、買い手から見れば「安くてうまい」標的になりやすい。外為法のコア業種(後述する指定業種のうち、特に重要なもの)で中堅企業に数多く外国資本からの触手が伸びている所以である。
安全保障の世界には「弱い輪」が狙われるという常識がある。サプライチェーンを構成する中堅・中小企業、そのニッチ技術、特許の束、製造ノウハウ、熟練労働、顧客データ。こうした価値は株価に反映されにくい一方で、一度奪われれば取り返しがつかない。私が「株価に反映されない価値をどう救うのか」と繰り返してきたのは、正にこのギャップを見据えているからである。
だが、ここで直ちに「買収は悪だ」「外資は敵だ」と短絡し、国家があらゆる案件に介入する仕組みの導入を主張する積りは毛頭ない。なぜならば、かかる措置は、市場による価値創造の歪み、モラルハザード蔓延、資本配分の非効率化、外国投資家の信頼の低下等を招来し、健全な資本主義にとってかえって有害であるからだ。過剰な国家介入の副作用にも目配りをしつつ、市場の機能を最大限に活かしながら、守るべきものを守るといういわば矛盾を抱えた線引きこそが、M&A市場における経済安全保障の中核的課題となる。
*100億円未満企業は、時価総額が低く、株式流動性が低い。すなわち1%から数%の株式取得が経営に与える影響が大きい。したがって、外為法の外資による出資の「比率基準」が、100億円未満企業で鋭く効くという実態が実務上存在する。
2 外為法の限界と課題――「一本足打法」では守れない
経済安全保障と投資審査といえば外為法がその法的枠組みの大宗をなす。私の国家安全保障局長在任中の2020年改正で、外国資本による対内直接投資で事前届出を必要とする出資比率が10%から1%へ引き下げられた。届出後は、国の安全等の観点から所轄省庁が審査を行うことになる。このことは、外国資本からの買収に対し抑止力として一定の意味を持つ。事実、多くのトップマネジメントも、国の安全に関することから事前届出を要する指定業種としての意義を意識するようになってきた。
しかし、外為法のみによって本稿において想定する事態を全て乗り切ることができるかと言えば、答えは「NO」と言わざるをえない。理由は二つある。第一に、外為法の射程は狭く、万能ではない。外為法は、国際収支・対外取引の管理を基調としつつ、安全保障審査を拡張してきたという歴史がある。第二に、政策側も外為法に過度な期待を寄せられることを忌避するという現実がある。ターゲットがJ-POWER(電源開発株式会社)のような元国策企業であれば中止命令のような強い手段が発動され得るが、そこまでいかない案件について同じ強度の介入を政府に求めることは不可能を強いることに近い。
一方で外為法において、改善すべき点も少なくない。例えば、指定業種のインベントリに農林水産業はあるが、「食料システム全体」を安全保障のロジックで設計しているわけではない。そして、肥料のような重要物資を起点に部分最適に追加されがちである。
冒頭のセブン&アイの件を例にとれば、日本と(ACTが本社を置く)カナダを比較した場合、総じて、カナダの外資規制は日本の外資規制よりも厳しく、カナダ企業による日本企業買収と比べて、日本企業によるカナダ企業買収の規制ハードルは相当程度に高いといった、制度上の非対称性が存在している。
若干敷衍すると、日本などの外国からカナダへの投資に対する規制法令として、カナダにおいては「カナダ投資法」という法律が存在する。カナダ投資法の特徴は、「安全保障関連の審査」のみならず「便益関連の審査」が行われる点にある。「純便益審査(Net Benefit)」という項目があり、外国人によるカナダ事業支配権取得案件で、一定金額(閾値)を超えるものは規制対象になり、事前申請と当局(革新・科学・産業大臣及び文化遺産大臣)による承認が必要となる。承認の基準は、カナダにとって「純便益」をもたらす可能性が高いかどうかにあり、カナダにおける経済活動の規模及び性質、対象企業におけるカナダ人の参加の程度及び重要性などを考慮して「純便益」の有無が判断される。

また、安全保障関連については、「国家安全保障審査(National Security Review Regime)」という項目が定められており、「純便益審査」の申請後にカナダ政府により当該審査が開始される。すなわち、「食料安全保障」を根拠として、世論の圧力を背景に「国家安全保障審査」がなされる可能性も十分にあり得るのだ。
このように、カナダは対内直接投資規制に食料安全保障の観点を持っている。セブン&アイの件では、上述のように日加の法制度が非対称という問題意識を提起してきた。
二国間にわたるM&Aを考えた場合、特にそれが安全保障に関わる場合においては、両国間のM&Aを巡る法制度のイコール・フッティングもまた重要な課題であることを付言しておく。
就中、経済安全保障の対象が半導体や軍事転用技術だけではなく、生活基盤や重要物資供給の安定へ広がっているように、経済安全保障の裾野が広がるのならば、制度もまた、時代の要請に従って不断の見直しが図られるべきなのだ。
このように見てくると、本稿が問題にするような企業防衛において、外為法は必要条件に過ぎないことが理解できる。先述の「企業価値が100億円を切っていて、安全保障に関わる高い技術を保有する」企業を守るためには、外為法、ファイナンス、インテリジェンス、ガバナンス、さらに付け加えればサイバーセキュリティの面での支援が必要となってくる。政府が、経済安全保障推進法第44条及び第45条において、GOCO(Government-Owned, Contractor-Operated)の仕組みを導入していることは、かかる企業の買収に対する大きな抑止力となることは疑いないが、その適用範囲は特定重要物資の安定供給の分野などは局限されており、さらに整備すべき制度的課題は多数存在する。
3 ステークホルダーとしての「国家」――企業法に浸透する安全保障の観点からの規律
企業支配権市場においては、「適切な経営がなされていなければ経営者は解任されるか買収されるべきである。そのための活動が制度的・社会的に制限されてはならない。上場企業の生殺与奪の権を握るのは株主であり、企業は株主のものだ」という考え方が存する一方、時代は株主第一主義からステークホルダー資本主義へと移ってきている。米国のビジネスラウンドテーブル(主要企業のトップマネジメントが所属する団体、BR)の声明は、「企業が説明責任を負うのは、顧客、従業員、サプライヤー、コミュニティ、株主など、すべてのステークホルダー」と述べている。さらに、原理論的に言えば、そもそも企業を構成する法人を成立させているのは国家制度そのものであるという側面が存在する。ステークホルダーという概念を考える上で、経済安全保障に関わるか否かは国家の決定の下にあるとすると、「コミュニティ」の延長線上に国家を位置付けるという考え方もあり得よう。
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