中曽根康弘元首相に初めて会ったのは、30年以上も昔の話になる。その頃のある一日、後藤田官房長官へのインタビューで首相官邸にいた。鬼の、なんていう形容が嘘に思われるくらいに愉しいインタビューが終った後で、官房長官殿はまるで命令するように言った。「いるようだから会って行ったら」それで藤波官房副長官に連れられて首相の部屋に行ったのだが、一足ちがいで総理は砂防会館内にある事務所に向ったという。実直な藤波さんは当然のように官邸を出て砂防会館に向うので、私も従(つ)いて行った。その時間はお客もなかったらしく、総理は1人で俳句をモノしていたようだった。
その日の会話は会話と呼べるものではなく、私は聴かれるままに少しばかり中近東の地理と歴史について話しただけで、後は男2人で俳句談議に興じていたが、そっちのけにされた感じなのに、私は少しも不快ではなかった。どうでもよいことの話のスキ間に、2人の性格のちがいをのぞき見ることができたから。
退出するときに言った。「作家にとっての名刺は著作です。最近作をお贈りしてよいでしょうか」そうしたら中曽根さんが言った。「あれはもう読んだ」そしてこうつづけたのだ。「きみの作品は金平糖(コンペイトウ)だね。口に入れてすぐに噛むと舌を切りそうになるが、我慢して口の中でころがしていると甘く変ってくる」
これには苦笑いするしかなかったが言った。「では、金平糖をこれ以後も贈りつづけます」
こうくるとその後はすぐに親しい仲になったと思われそうだが、中曽根さんとはそうではなかった。冗談も言う。ユーモアもアイロニーも豊か。しかし、中曽根康弘という人には、眼に見えない一線としか言えないものがはっきりとあって、その一線を越えることをこちらにためらわせる何か、が厳としてあったのだ。
宝塚で私の作品の1つを原作にして歌劇化したときのことだった。原作者ワクのようなものがあって、私にも何人か招待する権利が与えられる。それに後藤田夫妻は招待したのだが、中曽根夫妻は招待できなかった。とはいっても私自身は、眼に見えない一線を周辺に張りめぐらせている男は嫌いではない。
中曽根さんが首相であった時期に日本で、2度ぐらい会ったような気がする。いずれも読書好きで知られた経済人の席だったので、話題はもっぱら書物のこと。これらの席で初めて、中曽根康弘という人の関心の持ち方の特異性がわかった。歴史上の人物の誰に関心があるというよりも、その人が実施した政策のどれに関心をそそられた、というものであったのだ。つまり、すべてにつけて具体的。
だが、このような関心の持ち方ぐらい、それを書いた当人にとって刺激的な論評もない。会って話したのは、これにローマでの1席を加えても4回にすぎない。しかし、そのわずかな機会に彼が口にした疑問は私に、次かその次かに書く作品でより深く追究してみようという気を起させるたぐいのものだった。例えば、ハードパワーとソフトパワーの関係とか、実効性ある中立とはどういう状態かとか。
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