自殺大国の病理 韓流アイドルが死を選ぶとき

菅野 朋子 ノンフィクションライター
ニュース 社会 韓国・北朝鮮
韓国は、OECD加盟国の中で自殺者がワースト1である。2009年に盧武鉉大統領が退任後に自死を選んだことはその象徴だ。2019年も2人のアイドルが自殺し、社会に大きな衝撃を与えた。韓国における相次ぐ著名人の死は何を示しているのか。

若い韓国アーティストの自殺が続発

 2019年12月初め、韓国である政見会見が物議を醸した。

「数えきれないほど続く(検察)取り調べと裁判で魂がガタガタと震える気分でした。とてもつらく、苦しくて気絶したりもしました。紐を浴室において(自死するときは)躊躇しないようにと思ったものです」

 この発言が飛び出したのは、保守派の第1野党「自由韓国党」党内選挙でのことだった。発言の主は当時、政策委員長に立候補していた金在原(キムジエウオン)(現政策委員長)で、このくだりは「積弊清算」に関連したものだった。「積弊清算」とは、過去の政権時代に積もった弊害=不正を清算するというものだ。文在寅大統領が公約として掲げ、保守政権時代の不正が次々と清算されてきた。

 朴槿恵前大統領時代に青瓦台(大統領府)の政務首席を務めていた金氏は、積弊清算の対象となり検察の取り調べを受けた時の心境を、冒頭のように吐露したのだが、これに、「自殺を図ることを美化している」などと、猛烈な非難が飛び交ったのだ。

 韓国ではこの年、若きアーティストの死が相次いでいた。

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「KARA」のメンバーだったク・ハラ

 10月14日には、アイドルグループ「f(x)」の元メンバーで、最近では女優として活躍していたソルリさん(享年25)が、そして11月24日には、アイドルグループ「KARA」の元メンバーであるク・ハラさん(享年28)が自宅で亡くなっているのが発見された。

 韓国では、芸能人の自殺は毎年のように伝えられる。人々はそのニュースに「またか」という反応を繰り返すのが常だった。だが、まだ20代の、未来あるアーティストの死が相次いだことで、社会の空気は一転した。

「もうやめてほしい」

 悲痛な声が数多く上がり、それまでならば夥(おびただ)しい関連報道を繰り返していたはずのメディアも沈黙した。

 普段ならほとんど注目されないはずの保守派の党内選挙に、世論が敏感に反応したのは、そんな背景があったからだった。

 1990年代初めまで韓国は、10万人当たりの自殺者数は1ケタと、自殺率の低い国として知られていた(94年は10万人当たり9.4人)。急増したのは経済危機が起きた90年代後半で、2003年から16年まではOECD加盟国中ワースト1位となった。11年には、10万人当たりの自殺者数がこれまでで最高の31.7人となり、14年からは緩やかな減少傾向を見せていたが、一昨年再び増加し(26.6人)、ワースト1位に復帰している。

自殺を容認する雰囲気

 韓国では90年代初めまでは民主化運動や労働運動などで社会的メッセージを訴えて自殺する人が多く、韓国のある社会学者は「大義名分主義」と表現するが、そのため、自殺を容認するような雰囲気があるともよく指摘される。

 目を引くのは、政財界や芸能人など著名人の自殺だ。彼らの死にも、何かしらの社会的なメッセージが潜んでいるのだろうか――。

 *

 絶対的な権力を誇る韓国大統領の末路は悲劇的だとよく語られる。人々に大きな衝撃を与えたのは盧武鉉(ノムヒヨン)元大統領(享年62)の自死だろう。

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盧武鉉元大統領の自殺は社会に大きな衝撃を与えた

 09年5月23日、盧元大統領は韓国南部にある金海市郊外の故郷の岩山から身を投げた。故郷の村が一望できる場所だった。

 08年2月に任期を終えた盧元大統領は故郷に戻り、「晴耕雨読」のような暮らしぶりをしていると伝えられていたが、同年12月に、政界ロビー事件「泰光ゲート」に関連して実兄の盧建平氏が逮捕される。この事件は、運動靴メーカー「泰光実業」の朴淵次元会長が、盧元大統領の家族や側近らに不正資金を渡したというものだ。

 09年4月中旬には、夫人と長男が検察で取り調べを受け、盧元大統領自身もついに4月30日、検察に出頭した。当日は自宅からソウルの大検察庁(最高検察庁)に到着するまでの数時間、テレビ局はヘリコプターや追跡車を使って生中継で報じる過熱ぶりを見せた。庁舎に入る前、カメラの前に立った盧元大統領は「面目がない」と語った。

 盧元大統領は自身の潔白を訴え続けていたが、取り調べの最中に命を絶つこととなった。

 使用していたパソコンには、「私により多くの人が受けた苦痛は大きい」と題した遺書を、自死の前に残していた。そこには、次のような言葉がある。

「これ以上、盧武鉉は皆さんが求める価値の象徴にはなれない。皆さんは私を捨てなければなりません」

 *

 韓国では「被疑者」の身上となって自ら命を絶つ政・財界人は多い。

 嫌疑は様々だが、14年には鉄道施設の理事長、16年にはロッテグループの辛東彬(シンドンビン)現会長の最側近といわれた李仁源(イインウオン)グループ政策本部長がそれぞれ検察の取り調べを前に、17年には朴前政権の時代に官僚となった元検事が取り調べの途中に命を絶った。

 18年7月には、進歩派のアイコンと呼ばれた正義党の魯会燦(ノフエチヤン)院内代表が、金銭授受の疑惑が浮上する中でマンションから身を投げた。

 魯院内代表は、ネットでの世論を不正操作したとして逮捕された「ドゥルキング」こと金ドンウォン氏から政治資金を受け取ったという疑いが浮上していた。遺書には、「資金は受け取ったが、請託はなかった」、また「党の未来に多大な累を及ぼした(迷惑をかけた)」と記されていたと伝えられた。

 韓国の全国紙記者は言う。

「盧武鉉元大統領が自死していなければ、魯院内代表は果たして『極端な選択』をしただろうか――そんなことも思いました。韓国の人々は漠然と、保守派よりも進歩派の人間のほうが道徳性が高いと信じている人が多い。ですから、盧元大統領も魯院内代表もその存在から逸脱したとみられ、羞恥心に苛まれた。けれど、身を以て理念を守ったともされるのです」

「道徳」と「正義」の圧迫

 それぞれの自殺は背景も異なり、死を決断した理由はもちろん本人にしか分からない。だが、前出の社会学者はこう話す。

「検察の捜査対象者になるということはそれだけで大きな衝撃で、社会からは名誉や名声などへさまざまな圧迫を受けます。盧元大統領や魯院内代表の場合は、正統性への圧迫がありました」

 韓国の世論は、特に公職者の「道徳性」に敏感だ。瑕疵が認められた瞬間、完全な「悪」とされ、その「悪」に立ち向かう「正義」という強い世論の圧迫に押し流されてしまう。名誉回復がとても難しいのだ。

 それは他の著名人とて同じこと。13年、かつて巨人でも活躍したプロ野球選手・趙成珉(チヨソンミン)氏(享年39)の自死を取材した時にも、社会による「正義」の圧迫を感じた。

記者は1人も来なかった

 趙氏は韓国野球の黄金時代を作った立役者として知られ、大学を卒業した96年には「10年に1人の逸材」と言われて鳴り物入りで巨人に入団。当時、日韓メディアはこのニュースを大々的に報じた。

 しかし、その後2回の右肘手術を受けながら、1軍と2軍を行き来し、02年には巨人軍を退団した。

 私生活では00年に、韓国のトップスターだった崔真実(チエジンシル)さんと結婚し、「ビッグスターどうしの結婚」と脚光を浴びた。だが、03年には崔さんが、趙氏が不倫をしたとして「不倫賠償請求」を起こし、翌年に離婚が成立。その過程で趙氏が夫人に暴力を振るったとする騒ぎがあった。ちょうど崔さんが2人目を妊娠していたこともあり、趙氏は世間の非難を一身に浴びた。当時、趙氏に近い人はこう話していた。

「趙氏の暴力事件は報道にあったような一方的なものではなく、掴まれた手を振り払った時に起きたアクシデントだったと聞いている。でも、彼に詳しい話を聞きに来る記者は1人もいなかった」

 筆者の知り合いの記者も、「趙氏の話を書けるような雰囲気ではなかった」と、当時の様子を振り返っていた。

 その後、現役を引退。かねてからの夢だった少年野球や社会人野球を支援する会社を立ち上げ動き始めた08年、元夫人の崔さんが自ら命を絶った(享年39)。崔さんはトップスターだったが故に、その背景を巡ってはさまざまな憶測が乱れ飛んだ。趙氏との離婚後に鬱病を患っていたと報じられると、趙氏はまた俎上に載せられることとなる。

 趙氏と崔さんの親族間で子供の親権を巡る論争が起きた際には女性運動家を中心に「趙成珉に親権を渡さない反対運動」も起きた。その親権問題が一段落した後、趙氏はあるテレビ番組で「遺書でも書いて自殺をすれば真意が伝わるのかとも思った」と心境を語っている。非難の目は親族にまで向き、その1人は、「(趙)成珉の家族だと分かると容赦ない冷たい視線にさらされ、辛い思いをしました」と語っていた。

 その状況のなかで気持ちを奮い立たせ、趙氏は予定していた少年野球キャンプの募集をかけた。だが、応募者は2人だったという――。

 取材をしながら、韓国社会では何か事件が起きた後、その当事者を皆で断罪しようとする“情動的な結束”が強いように感じた。

 この結束は、最近ネット社会でもよく言われる「エコーチェンバー現象」と似ている。エコーチェンバー現象とは、ある空間でコミュニケーションが繰り返されることで、特定の信念が増幅されることをいう。例えば、19年には「日本製品の不買運動」が大きな高まりを見せたが、人々の反発が、市民団体によって繰り返された「買ってはいけない」という言葉により次第に増幅し、多くの人がそれに押し流されていったように思う。

 韓国では、ある対象が「悪」と認められると、それを断罪する側は絶対的な「正義」となる。市民団体の活動が盛んな韓国では、それが繰り返し増幅されることで、急速に力を得てしまう。そうした力が民主化を勝ち取る原動力にもなったのだろう。

 だが、その力は、趙氏を追いつめた。13年1月6日、彼は知人宅で亡くなっているのを発見された。

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source : 文藝春秋 2020年2月号

genre : ニュース 社会 韓国・北朝鮮