「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「黒い花びら」など、数々のヒット曲を世に送り出した作曲家でピアニストの中村八大(なかむらはちだい)(1931-1992)。その偉大なメロディーメーカーの苦悩を間近で見ていたのが、曲作りのパートナーだった永六輔(えいろくすけ)さん(1933-2016)である。
50年近く前のことだ。銀座を歩いていたら日劇の前で八大さんにばったり会った。その頃、八大さんはジャズバンド「ビッグ・フォー」で大変な人気を博し、「トリス・ジャズ・ゲーム」という番組に出演していた。僕はその番組の司会者、ロイ・ジェームスのコメントを書いていた。八大さんは大スター。こちらは司会の下書き。しかも早稲田の後輩ときている。「きみ、放送の台本書いているんだってね」「ハイッ」「一晩仕事つきあってくれない?」「ハイッ」という感じで、そのまま八大さんのアパートに行った。夜8時から朝6時まで。八大さんは曲を作り続けた。僕も勝手に詞を書き続けた。ひと通り作り終えたところで、その中のいちばん暗い曲と歌詞をあわせて出来上がったのが『黒い花びら』だった。

とにかく素晴らしいメロディーを書く人だった。八大さんが育ったのはドイツの植民地だった青島(チンタオ)。大陸の空気を吸いながら、クラシックの基礎を学び、戦後、アメリカの音楽に触れた影響なのか。八大さんが作る曲は国際感覚にあふれていた。ただ、常にメロディーを優先するから僕の詞はいつもズタズタにされ、原形をとどめないことが多かった。ところが不思議なもので、『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』などズタズタにされた曲ほどヒットした。「いいメロディーには既に言葉があるんだ」という八大さんの言葉が記憶に残っている。考えてみれば、どんなに詞がよくてもメロディーがダメだといい歌にはならない。逆に詞がまずくても、メロディーがよければヒットする。歌うことでその意味が見事に伝えられるというのは勉強になったが、表現の上で常に先輩を気遣わなければいけない複雑な思いがあって、僕は作詞をやめることにした。

どこまでも自然体
そこから八大さんと仕事を離れたつきあいが始まり、交際は更に深まった。私生活では始末に負えない人だった。ズボンのチャックがあいているのはザラ。靴下を片方はいてないこともあった。人前だろうが、何だろうが、足がかゆければ、靴も靴下も脱いでボリボリやっていた。周囲に気を遣ってこせこせしたり、おどおどしたりということがなく、言いたいことはズバズバ言った。どこまでも自然体でいられたのは音楽家として天才といわれ続けた自信の表れだったと思う。だが、八大さんは三波春夫さんが歌った『世界の国からこんにちは』の後あたりから、曲を作るのが辛くなってきたようだった。「とにかくお酒をやめてください」と言わずにはいられないくらい、酒を飲むようになっていた。一緒にいれば当然絡まれた。一緒にいなくても、酔って正体をなくし、迎えに行くことが何回も続いた。

時を同じくして、八大さんは食べなくなった。それでも飢えを知っている世代だから、残すのは抵抗があったようで、「これ食べて、食べて」と次々と皿をよこす。こちらとしては、先輩からお下げ渡しいただいたものを食べないわけにはいかない。こうして僕はどんどん太っていき、八大さんはだんだんやつれていった。
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source : 文藝春秋 2006年2月号

