坂本 九 空を見上げて

101人の輝ける日本人

黒柳 徹子 女優・ユニセフ親善大使
ライフ 音楽

日航機墜落事故で突然この世を去った坂本九(1941〜1985)。親交の深かった黒柳徹子氏が涙を浮かべて思い出す、大ヒット曲『上を向いて歩こう』と家族のような仲間たち。

1978年4月の「春場所、徹子の部屋」にて(渋谷・西武劇場、黒柳氏提供)

 私のことを「てっこちゃん」なんて呼んでくれるのは、九ちゃんだけでした。そんな人懐っこい彼と初めて会ったのは、NHKのドラマ『若い季節』(1961〜1964)。二代目・水谷八重子さんや横山道代さん、私の3人が勤める化粧品会社が舞台となったコメディードラマに、給仕役の九ちゃんが洋楽を歌いながらパっと入ってきたシーンが今も印象に残っています。

黒柳徹子(撮影・下村一喜)

 とにかく出演者が多くて、渥美清さんやクレイジーキャッツ、エノケンさん(榎本健一)まで出ている賑やかなドラマでしたが、九ちゃんはあの笑顔ですぐにみんなと馴染み、私とも友達になりました。

坂本九 ©文藝春秋

『上を向いて歩こう』は、私も出演していた『夢であいましょう』がテレビ初披露です。作詞の永六輔さん、作曲の中村八大さん、そして九ちゃんと、「六八九トリオ」のデビュー作でもありますが、実は当時、この曲が特別、大ヒットするとは思っていませんでした。「全米ビルボード1位」と聞いても、みんなどれだけ凄いことかわからなかったのです。九ちゃんがアメリカから帰ってきて、向こうで曲が大流行しているという話を聞かされたときも、「ふーん」と軽く聞き流していたほど。

『夢であいましょう』の頃から初詣は、永さん、渥美さん、八ちゃん、それに九ちゃんと、毎年のように赤坂の豊川稲荷へ行っていました。誰かが、「ここは水物の神様で、俺たちの仕事は水物だから」と、お賽銭はひとり1000円ずつ。当時の1000円は大金でしたが、永さんが、「昨年、前田武彦さんは2000円出したから仕事がたくさん入るようになった」と言うと、「2000円は嫌だな」とか、そんな会話をしたのが懐かしいです。

 私たちはNHKに出ていたので名前は売れていましたが、なかなか収入がついてきませんでした。みんなでご飯を食べに行くと、エビを頼んで私が「1人2匹ずつ」なんて数えたりして。すると渥美さんが、「いつか数えなくても食わせてやれるように、俺が稼いでやるから」と言ってくれた。本当に家族のような仲間たちでした。

黒柳徹子氏と坂本九氏(黒柳氏提供)

 九ちゃんが亡くなったことをニュースで知った後は、あまりにもショックで、仲間たちとどんな話をしたかさえ、今も思い出すことができません。具体的に話そうとすれば、いろんなことを想像しなくてはならないのも辛かった。

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source : 文藝春秋 2023年1月号

genre : ライフ 音楽