徳間康快 歴代総理が気にした日記

鈴木 敏夫 スタジオジブリ代表取締役プロデューサー
映画

出版、映画、音楽など幅広い事業を手がけた徳間書店社長の徳間康快(とくまやすよし)(1921―2000)。宮﨑駿(はやお)監督の才能をいち早く見抜いてスタジオジブリの設立に携わり初代社長となるなど、常に世の一歩先をゆくメディア人だった。晩年の3年間を親密に過ごしたスタジオジブリの代表取締役プロデューサー、鈴木敏夫(すずきとしお)氏が、その素顔を明かす。

 

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 晩年の3年間は、徳間社長の“秘書”のように会食に同席したりして、横にくっついていました。朝は新橋(当時)の徳間書店に顔を出して、それから小金井市のジブリへ行って仕事。夕方くらいに秘書から「ちょっと来てください」と呼ばれて、また徳間書店に行ってご機嫌伺いをして、ジブリにとんぼ返り。そんな生活でした。

徳間康快 ©文藝春秋

 私は元々、徳間書店でアニメ雑誌の『アニメージュ』の編集長をやっていました。いち社員と社長ですから、最初は認識されていなかったはずです。ところが、私も立ち上げメンバーとなった子会社のジブリが、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などのヒット作を生むと、ジブリと両方で仕事をしてる社員がいるみたいだ、と次第に認識されるようになったようです。とにかく徳間社長とはウマが合いました。

 世間的には豪放磊落(らいらく)なイメージがあるでしょうが、私の見た徳間社長は、ちょっと違っていました。いつも会食の席が終わった瞬間に、5センチ4方の小さなメモ帳を取り出して何かを書き込んでいるんです。あるとき「何を書いているんですか」と聞いたら、「いま聞いた話をまとめてるんだ」と。聞けば朝起きてから、そのメモを日記に書き写すのだそうです。普通の人は日記を書いたら書きっぱなしです。でも、それを1日後、1週間後、1カ月後……と何度も読み返す。そして、次に同じ人に会う予定が入ったら、その人と会った時の日記を読み直すのです。さらに自分で年表にして、その内容を暗記までしていた。当日、「きみは、こういったよな」と言われて相手は驚く。そして「徳間さんは凄い!」となるわけです。

 この日記には後日談があります。社長が亡くなったあと、お別れの会に歴代総理が何人も来ていました。葬儀委員だった私が奥様の横にいるとそのうちの二人が、お悔やみをいいながら「ところで徳間さんの日記は」と聞いてきました。自分の秘密が書かれてないか気になったのでしょう(笑)。

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source : 文藝春秋 2017年7月号

genre : 映画