小沢慧一『南海トラフ地震の真実』

第32回

與那覇 潤 評論家

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エンタメ オピニオン 読書

歴史なき専門家は必ずまちがえる

 7月28日の熊本地震は、令和の日本人がいかに歴史を失っているかを、痛切に思い起こさせた。発生の当初に目立ったのが、「前から」熊本は危険だと言われていた、とする趣旨の報道である。

 だが「前」とはいつのことか。今回と同じ震度7を記録した2016年、平成末の熊本地震以降にすぎない。本書が説くように、それ以前は専門家によって、当該の活断層が30年以内に地震を起こす確率は「ほぼ0〜0.9%」と診断され、県は企業を誘致する根拠に「地震が起きない」ことを掲げてさえいた。

 惨事が起きてからの「後出し」で、またあるかもしれないと警戒を説くことは、誰でもできる。逆にそんな国民は、遥かに長い期間、科学者といえども予測を誤ってきたという事実を忘れて、学ぶことをしない。つまり歴史を持たない。

 予想を外すのは安全神話とは限らず、むしろ「危険」を誇張する形でまちがえることもある。本書は南海トラフ地震の発生確率が、地震学者の手で水増しされた経緯を掘り起こし、反響を呼んだ。

小沢慧一『南海トラフ地震の真実』(東京新聞)1650円(税込)

 そもそも南海トラフ地震の時期を予測するモデルの根拠は、東京帝大教授の今村明恒が戦前(1930年)に発表した論文である。今村には関東大震災を予言した実績があり、後世のチェックが甘くなった。偉人の「神話」に目が眩んで、歴史上の制約を見逃したとも言える。

 今村は江戸時代の記録に残る、海底の隆起量の数値をそのまま用いたが、実際には掘削工事の影響を割り引く必要があった。新聞記者である著者が、今村の論拠を「史料批判」に基づき崩してゆく姿は、正しく歴史家のそれを思わせる。

 そうした検証抜きで、専門家の予測を鵜吞みにするだけでは、科学の内実はブラックボックスと変わらなくなる。昭和の地震学と同様に、「必ず感染爆発が起きる」「台湾有事は絶対に来る」と唱える分野が近年も見られたが、どれほどの人がソースにあたって調べただろうか。

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source : 文藝春秋 2026年11月号

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