米中露「三国志」時代の日本外交

短期集中連載 第1回

垂 秀夫 立命館大学教授・前日本国駐中国特命全権大使
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誠意や善意だけでは国家は守れない

 いま日本外交に欠けているものは何か――。

 この問いは、外務省に40年近く身を置き、中国問題に携わり続け、最終的には北京で日本大使として任に就いた私が、外交官人生の終盤に至って最も強く意識するテーマとなった。

 答えを端的に言えば「戦略的思考」である。

 戦略とは、善悪の価値判断でも、目先の政策の巧拙でもない。まして、各部局の意見を寄せ集め、「折衝」の末に落としどころを探す作業でもない。戦略とは本来、「国家として何を目指し、どの順序で、どの手段を使い、どう実現するか」という未来の設計図である。

 また、戦略とは、個々の外交官の勘や場当たりの「職人芸」を超え、国家として繰り返し運用できる“習慣”でなければならない。危機が起きた瞬間だけ声高に唱えるのではなく、平時から目標と手段を結び、政策の順序を整え、資源配分を決めておく――その地味な作業の積み重ねが、危機の瞬間に国を救う。

 この基本が、日本外交から徐々に薄れてきたのではないか。

垂秀夫氏 Ⓒ文藝春秋

 私がそう案じる理由は、理念的な抽象論ではない。外交の現場で、私はこの「戦略の欠如」の光景を何度も、そして痛切なかたちで見てきたからである。

戦略なき外交の実例――石破政権の対中外交

 象徴的な例として、石破茂政権の対中外交を、あえて「起承転結」で整理してみたい。

【起】2024年10月の政権発足時、石破政権は対中関係の「改善意欲」を繰り返し示し、首相自身も訪中に前向きな姿勢をにじませた。12月の外相・岩屋毅氏の訪中は、そのシグナルを補強した。中国側もこれを前向きに受け止め、李強首相を含む要人との会談を設定するなど、「両国関係を動かせるのではないか」という期待が生まれた。ここまでは、対話の糸口をつかむ上で決して悪くない。石破首相は対中関係改善のシグナルを送ったと日中双方が受け止めた。

【承】翌2025年1月、米トランプ政権が再び始動すると、北京の空気は一段と硬くなった。米中の角突き合いが先鋭化する局面で、米国側の同盟網が固まることを中国は恐れる。そこで対外的には、日本を含む周辺国や欧州、豪州、韓国などに対して「微笑外交」を強め、「対話」「協力」を前面に出す。日本側から見れば、石破政権発足時の対中アピールと中国側の融和姿勢が噛み合い、一見すると“相思相愛”の気配すら漂っていた。

【転】2月、石破首相は訪米し、トランプ大統領との会談後に日米首脳共同声明が発出された。声明は、中国による東シナ海・南シナ海・台湾海峡での力または威圧による一方的な現状変更への反対、台湾海峡の平和と安定の重要性を確認した。内容自体は近年の共同声明の延長線上にある。しかし中国側の受け止めは別である。北京は「日本が主導して作った共同声明だ」「結局、石破政権もこれまでの政権と変わりはない」と位置づけ、対日観の軸足を再び“警戒”へ戻す。

【結】そして3月、日中韓外相会談出席のため王毅外相が訪日し、日中外相会談が行われた。中国側はこの機会に、台湾問題を含む「四つの政治文書」の履行を改めて求め、とりわけ歴史問題を繰り返し取り上げた。以後、「抗日戦争勝利80周年」に託(かこつ)けて、中国国内で世論を抗日的に誘導する動きが強まり夏から秋にかけ厳しい抗日映画の封切りなどを含む一連の抗日キャンペーンが展開されることになった。その際、中国側には当初対中アピールを投げかけた石破政権への配慮は微塵も感じられなかった。

石破茂首相と習近平主席 Ⓒ中国通信/時事通信フォト

 こうして見ると、政権発足時の「改善」アピールとは逆方向に、対中関係が揺り戻されている。重要なのは、石破政権の個々の対応が正しかったか、間違いだったか、といった近視眼的な基準で判断しないことである。中国との対話を志向し、日米同盟を堅持し、必要な局面では言うべきことを言う――それ自体は当然であり、間違っているわけではない。

 問題は、政権中枢に一貫した対中戦略が存在していないために、行き当たりばったりの“その場しのぎ外交”になってしまい、「起」と「結」のベクトルが噛み合わなくなっている点にある。結果として、「一体何を求めようとしていたのか」と問われても仕方のない対中政策であったと言わざるを得ない。

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source : 文藝春秋 2026年2月号

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