IR、河井夫妻、桜を見る会……側近のスキャンダル続出で、菅義偉官房長官の包囲網が狭まっている。そんな中、安倍晋三首相は、自民党仕事始めのスピーチで「柚子は9年の花盛り」と語った。その言葉に込められた安倍の野望とは?
「改憲をやってくれるかどうかわからない」
「国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか」
1月20日、衆院本会議場。施政方針演説の終盤、首相・安倍晋三は「夢を夢のままで終わらせてはならない」と締めくくった。「夢」とは悲願である改憲だ。
ただ安倍が改憲への思いを募らせれば募らせるほど、永田町で囁かれていた「五輪後の9月退任」という政治日程と齟齬が生じてしまう。
それが表れたのが1月7日の自民党仕事始めでの安倍の挨拶だ。
「桃栗3年、柿8年」のことわざに触れ、「柚子は9年の花盛り。この柚子までは、私も責任をもって皆様とともにしっかりと大きな花を日本に咲かせていきたい」と述べた。
自民党総裁任期は1期3年。3選中の安倍が来年9月に迎える総裁任期を全うするかのような物言いだ。安倍の盟友、甘利明税調会長は「(退任時期を示すことで)レームダック化をさせないという宣言だ」と解説するが、安倍が言う「花」は、もちろん改憲だ。花を咲かせるまでは総裁を続けると読める。
「柚子は9年」発言は、安倍の意中の後継者、自民党政調会長・岸田文雄に対する不安の表れでもある。岸田は安倍からの禅譲を盤石にすべく、改憲に向けた取り組みは怠らない。それでも安倍は度々、「次の人が本気で改憲をやるかどうかわからない」と周辺に漏らしている。
岸田氏
安倍の祖父、岸信介は果たせなかった改憲を後継の池田勇人に託したが、池田は「所得倍増」を掲げ改憲に手を付けなかった。しかも岸田は池田が創設した宏池会の会長だ。
さらなる懸念は岸田の存在感の薄さだ。安倍が所属する最大派閥の細田派、岸田後継に賛意を示す麻生太郎率いる麻生派、岸田派の3派をあわせれば党所属議員の過半数を制する。ただ1月の毎日新聞世論調査の「次の首相」にふさわしい人物で、岸田は3%にとどまり、トップの石破茂19%に大きく水をあけられている。安倍の五輪後勇退論も、岸田に不利な党員投票のない総裁選に持ち込むためとみられていた。
岸田へ伝えた安倍の思い
だが、今も安倍の思いは変わらない。最近は周囲に「次は岸田さんを考えている」と明確な物言いをするようになった。じつは安倍は「柚子は9年」発言の前、自らの意向を岸田に伝えている。「総裁任期中は、国会が開いている限り、私の手で憲法論議を進めたいと思っている。後のことも含めて協力をお願いする」。岸田も側近に「総理は来年の通常国会まで続けるんじゃないか」との見通しを示している。安倍からの禅譲に不安を感じている様子はなかったという。「総理は来年の通常国会までに、可能であれば改憲を問う国民投票に持ち込みたいが、少なくともできる限り改憲への道筋をつけ、その後は岸田に託す」(岸田側近)との見立てだからだ。
来年の通常国会閉会直後に首相退任すれば、事実上、総裁任期を全うしたとの主張は可能で「柚子は9年」発言と齟齬は生じない。同時に、厳密な意味で任期満了でなく、党員投票を行わない両院議員総会による総裁選の余地も残す。
すでに安倍の解散権は窮屈な政治日程のため手枷足枷の状態だ。4月までは20年度予算案審議、立皇嗣の礼などが立て込む。7月5日の東京都知事選との同日選も可能だが、五輪直前に政治的空白をつくることには批判もつきまとう。自民党幹事長・二階俊博、公明党代表・山口那津男も五輪前の解散に否定的だ。
秋の臨時国会以降も厳しい。来年夏には都議選を控え、国政選並みに重視する公明党は衆院選と近接するのを極度に嫌う。「最低、3カ月は間隔を開けてほしい」(創価学会幹部)のが本音だ。そもそも改憲論議を優先するなら、与野党の分断を招く衆院選とは両立しにくい。国民投票で改憲の是非を決める以上、衆院選で改憲を大義にするのは筋違いとの批判を招く。改憲を争点の1つとするのは可能にしても、本来の大義が必要となる。大義があるとすれば、経済政策だろう。五輪後の景気減速を見越した経済対策を年内に策定し、通常国会の冒頭で信を問うか、後継総裁に解散を委ねるという選択肢しか残らないというわけだ。
菅ちゃんはまだ1人だよね
安倍の描く戦略では衆院解散の選択肢がほぼなくなるが、過密な政治日程は、自らの政権基盤の強さに自信を深めている証左でもある。言い換えれば、官房長官・菅義偉の封じ込めに成功したことが大きい。
「菅ちゃんは今後どうするつもりなのかねぇ。まだ1人だよね」。最近、安倍が周囲に漏らした言葉だ。
これには前段がある。安倍は18年9月の総裁選前は「ムラをつくっちゃいなよ」と菅に派閥結成を勧めておきながら、総裁3選後は周辺に「菅ちゃんは勘違いしないよね」などと漏らし、一転して牽制していた。そして現在も党内で確固たる地盤がない菅を皮肉ったのだ。
菅は12年9月の自民党総裁選で、出馬を躊躇する安倍を説き伏せ、返り咲きを導いた。麻生、高村正彦前自民党副総裁と並ぶ第2次安倍政権誕生の功労者の1人である。
ただ「安倍退任後に思い描く政界模様について、安倍と菅にずれがある」(首相周辺)のは周知の事実だ。安倍は麻生とともに岸田の後見人として君臨することを狙う。一方、岸田を評価しない菅は、岸田の幹事長就任を阻止するなど岸田の影響力を削ぐことに注力してきた。
2人の軋轢は、その周辺にも波及する。官邸内では、安倍周辺と菅との冷戦が勃発。官邸を取りまく疑惑がそれに拍車をかけている。
菅は新元号発表で「令和おじさん」として知名度を上げ、ポスト安倍の有力候補に躍り出た。一方で菅は同じ神奈川県を地盤とする河野太郎防衛相、小泉進次郎環境相を担ぐことも有力な選択肢とし、近しい人物には「次は河野を立てる。岸田みたいに発信力のないのが相手なら必ず勝てる」と断言している。いずれにせよ、「ポスト安倍と岸田以外を担ぐキングメーカーの両にらみ」(菅側近)だったのは間違いない。
KISS疑惑で四面楚歌
失速のきっかけは昨年9月の内閣改造だ。菅にきわめて近い菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相がそれぞれ公選法違反疑惑で相次いで閣僚を辞任。その後は首相主催の「桜を見る会」問題やカジノを含む統合型リゾート(IR)事業を巡る汚職事件が発生した。
いずれの問題も「菅と関わりが深い案件」(政府関係者)と目され、河井と妻案里参院議員の疑惑を「K」、IR汚職事件の「I」、菅原の疑惑を「S」、桜を見る会問題の「S」と頭文字をとった「KISS疑惑」の批判の矢面に立たされた。
カット・所ゆきよし
不倫疑惑が発覚した和泉洋人首相補佐官、かんぽ生命を巡る情報漏えいで総務省前事務次官更迭のきっかけとなった鈴木康雄日本郵政前上級副社長(元同省事務次官)も菅の子飼いとされる。
わけても和泉の不倫疑惑が永田町・霞が関に与えたインパクトはメガトン級だった。それは和泉が菅の最側近として、ここ数年あらゆる政策に口をはさみ、出身の国交省のみならず各省に強引に政策変更などを迫ってきたからに他ならない。外務省や防衛省以外のほとんどの官庁で、和泉は最も恨みを買っていた「官邸官僚」だった。
黒子である和泉の名前が初めて表に出たのは、加計学園問題のとき。文科事務次官(当時)の前川喜平を官邸の自室に呼び出し、獣医学部新設問題で「総理が自分の口からは言えないから私が代わって言う」と政策変更を迫っていた、と前川が証言したのだ。こうした和泉の言動が文科省官僚たちの怒りを買い、加計学園問題をこじれさせた原因のひとつとなった。
内閣人事局の設置により各省とも幹部人事を首相官邸に握られたことに加え、7年に及ぶ超長期政権で各省とも不満が溜まっている。
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source : 文藝春秋 2020年3月号