オリンピックはいわばスポーツ・ビジネスの集金システム。IOCの行動原理は「アスリート・ファースト」ならぬ「マネー・ファースト」である。延期の決定は、日本にとっては巨額の財政負担の始まりに過ぎない。新型コロナウイルス騒動で露呈した知られざる「五輪の舞台裏」とは。
五輪の「裏側」が露呈した
東京2020オリンピック・パラリンピック大会が五輪史上初めて延期された。国際オリンピック委員会(IOC)は延期の決定に至るまで、4年に1度の「平和の祭典」が選手や観客の生命や健康に勝ると言わんばかりに振る舞い、いたずらに決断を遅らせ、世界中の選手や競技団体から激しい非難を受けた。
新型コロナウイルス感染拡大を受け、他のスポーツやイベントが早々に延期や中止を決めた中、なぜオリンピックの判断が遅れたのか。それは、IOCが世界最大級のイベントに育て上げたオリンピックが、スポーツ・ビジネスの集金システムと化し、IOC自身を縛っているからだ。延期にしろ、中止にしろ、IOCの行動原理は「アスリート・ファースト」ならぬ、「マネー・ファースト」にほかならない。
しかも、延期決定は、日本にとっては更なる巨額の財政負担の始まりに過ぎない。追加負担はIOCではなく開催都市が負うという契約があるためだ。
新型コロナウイルスで露呈した、オリンピックの「裏側」に迫りたい。始まりは1984年ロサンゼルス大会(夏季)だった。1976年モントリオール大会(同)がオイルショックとずさんな運営で大赤字となり、1980年モスクワ大会(同)は旧ソ連のアフガニスタン侵攻に伴う西側諸国のボイコットがあり、オリンピック開催に立候補する都市は世界から消えようとしていた。
米国は開催都市に名乗りを上げたものの、ロサンゼルス市民の8割が開催に反対し、州も市も財政支援を拒否した。そうした中、ロサンゼルスオリンピック組織委員会のピーター・ユベロス委員長は完全民営化で大会運営を行い、オリンピックというシステムの刷新を図った。
まず「放映権料」ありき
最大のポイントとなったのが、テレビ放映権料の引き上げである。
オリンピックを初めてテレビ中継したのは、1936年ベルリン大会(夏季)だ。第2次大戦後、テレビが普及し始めると、IOCは1950年代から放映権料の徴収を図り、欧米の放送局と対立していた。IOCは1960年ローマ大会(同)から放映権料の徴収を本格的に始めたが、総額は全世界で120万ドル(当時のレートで4億3200万円)だった。その後、1980年モスクワ大会で8800万ドルまで増えた放映権料は、ユベロス委員長によってロサンゼルス大会で3倍以上の2億8700万ドルまで引き上げられた。
ユベロス委員長はさらに、1業種1社に限定したスポンサーを募り、協賛料の引き上げにも成功。聖火リレー走者から参加料を取るなど、「オリンピックの商業主義」という批判も多いが、選手村を大学の寮にして、競技場は既存施設を利用するなど、徹底した節約もあって、民営化を成功させたと言うべきだろう。
ロス大会成功後、IOCは自身の「商業化」に突き進んだ。IOCはテレビ放映権料の交渉を独占し、1業種1社のスポンサー制度を「ジ・オリンピック・パートナー(TOP)・プログラム」として確立したのだ。これは五輪マークの使用権を認めるなどの見返りに、クレジットカードやコンピューター、自動車など事業分野ごとにスポンサーを募るもの。契約金額は未公表だが、1契約期間で数百憶円とみられている。東京大会ではパナソニックやブリヂストン、トヨタなど14社が契約し、収入の柱に成長した。
商業化路線の元祖・ユベロス氏
こうした商業化路線のキーマンが、アントニオ・サマランチIOC会長(当時)だ。象徴的なのが、ロス大会のテニス競技から始めたプロ選手の容認である。
1894年にピエール・ド・クーベルタン男爵がIOCを創設して以来、オリンピックはアマチュア選手しか参加できなかった。その後、オリンピック憲章からアマチュアという言葉は削除されたものの、なかなか進まなかったプロ選手参加をサマランチ会長が推し進めたのだ。その狙いは、「世界最高のスポーツ大会」として、オリンピックを「格上げ」することにあった。
「ドリームチーム」を覚えているだろうか。1992年バルセロナ大会(夏季)の男子バスケットボール米国代表のことだ。1988年ソウル大会(同)で旧ソ連に敗れた米国は、バルセロナ大会でマジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンなど有名プロ選手で構成したチームで優勝。サマランチ会長は当時、「大会の成功をもたらした最も重要な局面は、世界最高のバスケットの試合を見たことだ」と絶賛した。
その後、アイスホッケーや自転車、野球などが続き、2016年リオデジャネイロ大会(夏季)ではボクシングのプロ選手参加が認められた。
オリンピックが「世界最高の大会」になったことで、IOCはテレビ放映権料のさらなる引き上げを図る。1988年カルガリー大会(冬季)では、米3大ネットワークの1つ、ABCが3憶900万ドルを払い、ロサンゼルス大会の放映権料を上回った。最後まで競り合ったABCとNBC(現在のNBCユニバーサル、以下NBC)に対し、IOCのディック・パウンド委員は「コイントス」による決着を促したという。
142億ドルで契約
その後も放映権料は右肩上がりを続けたが、米テレビ界の原資の大半はスポンサーからのテレビ広告料であり、スポンサーの財布にも限界がある。そこでIOCは、夏冬同年に開催だったオリンピックを、1994年リレハンメル大会(冬季)から、2年おきに開催することを決めた。こうす公衆れば、年間予算に限りのあるスポンサーの負担を分散できる。米テレビ局幹部から「夏冬同時では広告主の負担が重い」と相談を受けたサマランチ会長が、決断したのだ。
この決定を受け、NBCは1995年、2000〜2008年までの夏冬5大会の放映権料として総額35億5000万ドルでIOCと契約した。NBCはこの契約後、米国でのオリンピック中継を独占し続けている。2010〜2032年までの夏冬大会の放映権料も総額142億3100万ドルで契約済みだ。日本や欧州もこうした米放送局の放映権料の高騰に引きずられ、IOCと巨額の契約を結んでいる。
放映権料のおかげで、IOCの財政は極めて安定している。直近(2013〜2016年)の収支報告によると、4年間の収入総額は57億ドル。うち73%を放映権料、18%をTOPと呼ばれる企業スポンサー料が占めている。また、2018年末の総資産は41億ドル、流動資産は23億ドル、非流動資産は19億ドル。現金およびその他の金融資産は計37億ドル。1980年のサマランチ会長就任時に流動資産は20万ドルしかなかったと伝えられるのが信じられないほどの急伸ぶりだ。
IOCは収入の9割を世界各国のオリンピック委員会や各種競技団体を通じて選手活動の支援に使っていると主張している。
だが、IOCが各競技をA〜Eの5段階に分類し、資金配分に差をつけていることはあまり知られていない。2016年リオデジャネイロ大会の最高ランクAには人気競技の水泳や陸上、体操が入り、最低ランクEは近代5種競技、ゴルフ、ラグビーである。この時の金額は不明だが、2012年ロンドン大会(夏季)は最高ランクAが陸上競技だけで、金額は約4700万ドル。最低ランクはDで、柔道や卓球、バドミントンなど14種目が各約1400万ドル。テレビや新聞などへのメディア露出度が基準となっており、放映権料引き上げに有利となる視聴率を意識していることがうかがえる。
これまで、IOCはさまざまな新競技をオリンピックで採用してきた。日本でも人気の高いスノーボードやカーリングは、サマランチ会長が1998年長野大会(冬季)から採用した。スノーボードに代表されるXスポーツをいち早く見出し、若者市場への参入を進めたサマランチ会長の目利きぶりには驚かされる。
半面、新競技の採用はオリンピックの肥大化を招いている。IOCはいま、eスポーツの採用を視野に入れている。テレビゲームの腕を競うeスポーツは、従来のスポーツ観から外れるとして、IOC内部でも異論はあるようだ。だが、人気競技の取り込みを常に怠らない姿勢からは、ビジネス感覚に優れたスポーツ興行主としての顔がうかがえる。
“優良企業”IOC
「平和の祭典」を掲げるIOCだが、実は国際機関でも、国連機関でもない。スイスのローザンヌ市に拠点を置く非営利組織(NPO)兼非政府組織(NGO)であり、その傘下に財団や株式会社、有限会社を多数抱えている。いわば、「スポーツ・ビジネスの企業集団」なのだ。創設者クーベルタン男爵が唱えた「オリンピック・ムーブメント」の展開を社是とし、その活動資金を主に放映権料で賄っている。2年おきに開くスポーツ大会が主力事業であることを考えれば、驚異的な優良企業だ。
しかし、新型コロナウイルスの世界的流行は、そんな“優良企業IOC”の欠陥をさらけ出した。収益の柱が放映権料である以上、大会中止は自らの首を絞める行為に等しい。延期しようにも、年内も1〜2年後も他のスポーツ大会とその中継が予定されている。放映権料を収益源としているのは、他の競技団体も同じだ。優越的な立場でテレビ局を手玉にとってきたはずのIOC、そして主力事業のオリンピックは、テレビ中継を核としたスポーツ・ビジネスの歯車のひとつに過ぎなかったことが露呈したのだ。
本音は「テレビ・ファースト」
それが象徴的に表れているのが、米4大スポーツとオリンピックとのスケジュールの兼ね合いである。
4大スポーツとは、アメリカンフットボール(NFL)、バスケットボール(NBA)、メジャーリーグ(MLB)、アイスホッケー(NHL)を指す。これらの試合中継は高視聴率が見込めるキラー・コンテンツで、巨額の放映権料が動く。中でも毎年2月に開かれる米プロフットボール大会「スーパーボウル」は注目度がケタ違いだ。通常時より跳ね上がる高額の広告料にもかかわらず、企業はこぞって広告を出す。
NFLは9月から翌年1月まで通常競技を行い、NBAとNHLは10月から翌年4月まで競技を行う。MLBだけはやや時期がずれ、3〜10月まで試合があり、10月下旬にワールド・シリーズが開かれる。つまり、米4大スポーツは9〜10月を主要な時期として、テレビのキラー・コンテンツとして位置づけられているわけだ。
一方、夏のオリンピックの開催期間をみると、10月開催は1968年メキシコシティー大会が最後で、1976年モントリオール大会が7〜8月開催となって以降、1988年ソウル大会、2000年シドニー大会を除くすべての大会は7〜8月に開催されている。米4大スポーツとは「棲み分け」が出来ているのだ。
この「棲み分け」の重要性がはっきりしたのが、2020年大会の招致レースである。東京とともに開催都市に立候補していたカタールのドーハは、暑さ対策を理由として10月開催を提案した。IOCは「選手や観客の健康面への配慮」と「テレビ視聴率への影響」に問題がなければ受け入れるとしたが、最終的には子会社「IOC国際テレビジョンアンド・マーケティング・サービス」が、「IOCが推奨する7〜8月のオリンピック開催は、オリンピック放送でプライムタイム(日本のゴールデンタイム)のマーケットリーダーになるという“保証”を放送局に提供する」(2012年の作業部会報告書)と意見し、ドーハの提案を拒んだ。
IOCが暑さ対策を理由に、東京大会のマラソン・競歩会場を札幌に変更したのは昨年10月のことである。だが、実際には、IOCは札幌への変更のはるか以前に、暑さ対策を突きつけられていたのだ。IOCは選手の健康面への影響より視聴率を重視していたのではないか。
筆者は、IOCに対して「ドーハ提案」の拒否について尋ねてみた。「テレビ・ファースト」がその理由ではないかと問うと、IOC側は報告書の他の記載を引用して、「選手の健康を優先している」と電子メールで回答した。“保証”の真偽についても尋ねたが、回答はなかった。
これに関連して、今年3月24日、ウォールストリートジャーナルが「NBCがIOCと結んだ契約は『NFLのレギュラーシーズンが始まる秋にオリンピックを放送しない』とある」と報じた。やはり、IOCの本音は、「テレビ・ファースト」にあるのだろう。
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source : 文藝春秋 2020年5月号