2月以来、世界はコロナ一色と化した。スポーツも芸術も街の賑わいもなくなり、精気を失った世界は白黒映画のようだ。この中で日頃、数多い友達との他愛ないおしゃべり、コンサート、映画、美術展、テニス、ゴルフ、登山などにうつつを抜かしていた女房は、暗さ何するものと心機一転、吉川英治の『新・平家物語』全16巻に取組み、ついに完読してしまった。私も女房のように鈍感になって、コロナチャンスをものにしたいと思うのだが、死亡者の8割は高齢者などと聞くとついテレビをひねってしまう。
これがつまらない。ニュースを見れば、哲学も覚悟も決断もない政府に幻滅するばかり。ワイドショーでは連日、変わり映えのしない悲観論が飛び交っている。「重症になるとこのように苦しむ」、「コロナ後にリーマン・ショック以上の大恐慌となる。ウイルス死より餓死が問題となる」、「イタリアやニューヨークでは埋葬の間に合わない死体が……」などと最悪ケースばかりが語られる。2011年の東日本大震災時も、「福島県は今後100年間は人の住めない場所となる」「東日本では今後ガンが多発する」などというエセ科学者たちがいた。腹が立ったので我が家では、2012年初めから3年間ほど格別に美味しい白河の米を毎日食べ、福島の甘い桃や会津の酒や身しらず柿を満喫した。おかげで家族一同元気一杯だ。
メディアは競って不安を煽る。視聴率が上がるのだ。人間には「恐いもの見たさ」や「自分より悪いものの存在を知ることで救われる」という習性があるからである。
人間が救われたい生物であることは、格言からも分かる。人生の暗くやるせない側面に光を当てたものが多い。シェイクスピアは「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」、「恋は溜息と涙でできている」と嘆き、ゲーテは「人生は二つのものから成っている。したいけどできない、できるけどしたくない」と言った。ショーペンハウエルに至っては「人生は苦痛と退屈の間を振子のように揺れ動く」とまで言った。日本人も負けていない。漱石は「人間は生きて苦しむための動物かも知れない」、芥川龍之介は「人生は地獄より地獄的である」とさえ言った。林芙美子だって控え目に「花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かりき」と吐露した。
こういった格言を作るのは主に作家や哲学者などネクラな種族だ。人間考察を専門とする彼等は、「不幸は幸福より重く、悲しみは喜びより深い」という真実を見抜いている。人間は自分より不幸な人の存在により救われる、ということも知っている。先のショーペンハウエルだって、「人生は快楽と喝采の間を振子のように揺れ動く」では、世人は「どうぞ御勝手に」と見向きもしない。
ネアカな私に格言を作らせたらロクなものにならない。高校時代に「詩は音楽、俳句は絵画」と言った。アメリカ時代には「女性のIQとバストの大きさは反比例する」と吹聴した。バストの小さい女性はそれに目を輝やかせた。大きい女性の前では決して口にしなかった。その後も、「よい画家のいる国イコール料理の美味しい国」、「アメリカ娘を陥すには月と星とユーモア」、「女の魅力は流した涙の量に比例する」、「美味しい和菓子は城下町にしかない。美味しさは石高に比例する」……などと思いつくままに言ってきた。なぜか女性と食物に偏っているうえ、すべて私の独断で救われる人もいないから当然後世にも遺らない。
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source : 文藝春秋 2020年6月号