緊急事態「再宣言」はありうる

尾身 茂 医師
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緊急対応のレベルを上げるボタンを押すというシナリオはある。敢えていうと、感染症対策のことだけを考えるならば、もうボタンを押してもいい、という局面までは来ている。(聞き手・広野真嗣)

感染症防止と経済対策

 ウイルスというものは目に見えず、人を介して伝播する性質があります。現実の人間の集団の日々の動きに影響を受けながら、拡がり方も変化する。このため感染対策も、人々の行動パターン・感染状況を素早く捉えて対応する必要があります。

 2月に感染症の専門家が集められ、「専門家会議」が発足し、私もその一員として感染症対策を考えてきました。しかし4月から5月にかけて緊急事態宣言と前後して、感染拡大防止に偏って経済社会に配慮が足りないのではないか、という声が各方面から聞こえてきました。

 感染症防止と経済対策という、矛盾する2つの命題を両立する道を見出すこと――その要請から、それぞれの専門家を入れて設置されたのが、今回の新型コロナ対策分科会です。前身の専門家会議とはフェイズが変わり、会長に指名された私自身も、これまでとは違った役割と責任の重さを感じています。

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尾身氏

 人間というものは、複雑な物事を単純化し、時に白黒に分けて考えたがる傾向があります。しかし、日々の感染状況の変化はそうはっきりと明確に見えるものではなく、実に複雑な様相を呈しています。

 新型コロナ対策を成し遂げていくには、日々明らかになる感染状況を注意深く観察すること、時には、専門家も自分が拠って立つ知識を柔軟に離れることも厭わないこと、そうしてさまざまな可能性をじくじくと探っていくしかありません。感染症対策と経済を両立させるということは、非常に「細い道」を探り当てていくようなものなのです。

市中感染には2つある

 青春時代、小林秀雄の「無私の精神」に影響を受けたと本誌7月号で明かしたのが、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長、尾身茂氏(71)だ。小林が1960年に発表したそのエッセイに、こんな一節がある。

〈実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある〉(『小林秀雄全集第12巻』新潮社刊)

 6月まで「専門家会議」の副座長を務めた尾身氏は、感染の拡がりが新たな段階を迎える中、7月から分科会の会長として、経済を機能させながら感染を抑えるという重責を担うことになった。

 分科会は発足まもなく、新規感染者が急増した「東京問題」、Go Toキャンペーンの対策にあたることになり、注目を集めた。尾身氏に改めてコロナ対策の「実行家」としての決意を聞いた。

 ウイルス学や感染症疫学など公衆衛生分野を中心にした12人のメンバーで組織されていた専門家会議に対し、7月に発足した分科会はエコノミストや県知事、労組などさまざまな立場からの代表者も加えた18人から成ります。

 第1回の分科会が開かれたのは7月6日の月曜日でした。すでに前週から5日連続で東京都の新規感染者数が100人超、さらにその週の後半からは4日連続で200人超、という局面で始まったのです。

 感染状況をどう分析するか、リスクコミュニケーションとしてどう伝えるか、私たち専門家としても熟慮を求められる局面でした。

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 その原因の一つは、集計された感染者データが不完全で、感染経路不明者が多かったことです。データが不完全になってしまうのは、自治体によって個人情報の取り扱いのルールが違うことに加え、都道府県と政令都市の関係が制約になっていることもあります。

 接待を伴う飲食店(夜の街)との関連では、行動履歴を語ってくれない感染者も少なくありません。保健師さんが「誰にも言わないから」と熱心に説得した上で実情を聞かせてもらっていることもあります。こうした内容を公開すれば信頼関係にひびが入りかねない、という難しさもあるのです。

「市中感染」という言葉が一般の人々の間で使われる場合、その捉え方にも幅があるように見受けます。

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 その言葉が意味するところは大別して2つあって、1つは人口の40%がかかっているような、文字通りの「蔓延」の状態です。これは、ある地域の不特定多数から、さらなる不特定多数へと「面」で感染が拡大している状況と言えます。

 もう一つの市中感染は、夜の街で感染した従業員や客が、友人や家族に感染させ、さらに、その家族がお見舞いに足を運んだ親族の入院先で感染を広げている、というように感染が「線」でつながる状況で、現時点では、こちらの方が実態に近いというのが分科会での共通認識です。

 6月の新宿のPCR検査スポットの陽性率が30%を超えた、と報じられましたが、これはあくまで夜の街関連のデータです。ちなみに同じスポットで会社員は3.7%、学生が3.8%でした。スポットには感染リスクを懸念している人が来る傾向があって、そんな懸念を持っていない人が多い一般の地域での陽性率が、こうした数値より高いことはないだろうと見ています。

報告日と発症日のちがい

 7月になって本格的に始めたことの一つは、感染者数の増減を、保健所から都への「報告日」ではなく、疫学調査をもとに「発症日」ごとにとらえ直すということです。

 そもそも、報告日ベースでは、発症後、検査に至るまでの日数にばらつきがあるし、検査機関や保健所で作業の渋滞が発生した時に実態との間に、ズレが生じてしまう。こうした人為的に発生した誤差を取り除くために、「発症日」の増減を見ることにしたのです。

 7月22日の第3回分科会で明らかになった各地の発症日ベースの感染状況のグラフは、いずれも報告日ベースのそれより緩やかな傾向を示していました。データが上がってきていない直近の数日間について、あえて慎重な仮定で推計しても、その傾向は変わりませんでした。

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 また、感染者の年齢別の内訳をみても、重症化しやすい60代以上の割合は増えてはきているものの、21日までの段階では8.9%。3割近かった4月のピーク時とは、やはり様相が異なっていました。

 こうしたことから、22日の分科会では、メンバーの総意として「爆発的な感染拡大には至っていないが、感染が徐々に拡大して」いる、という評価を下したのです。

最悪のシナリオ

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source : 文藝春秋 2020年9月号

genre : ニュース 政治 医療