英エコノミスト誌記者「イラン幽囚記」 第1回

ニコラス・ペルハム 英エコノミスト誌中東特派員
ニュース 国際
2019年7月、ニコラス・ペルハムは、記者としては珍しくイランへの入国ビザを取得することに成功した。ところが出張を終え帰国しようとしていた当日、当局に拘束された。本稿は、拘束時の貴重な記録である。ニコラス・ペルハムは、英エコノミスト誌の中東特派員で、『神聖なる地――新イスラム主義』などの著書もある。
ニコラス・ペルハム
 
ペルハム氏

48時間の拘束を告げられた

 彼等が現れた時、私はホテルの会計をしている最中だった。7人組の集団は、それぞれ私服という身なりでいながら、どこか格式張っていた。その中で最も背の低い男が「ペルハムさんですか」と、口を開いた。ファールシー(ペルシア語)で書かれた手書きの書類を差し出して見せ、「裁判官の署名を貰っています」と彼は言った。「我々は48時間、あなたを拘束する権利を持っています」と言うと、彼はここで話を止め、私の表情が変化していくのを観察した。今の情報を私が飲み込んだことを確認すると、「もっと早くお帰り頂けるかもしれません」と付け加え、「我々は単にあなたに幾つかの質問にお答え頂きたいだけなのです」と締めくくった。

 私は選択肢を与えられた。このホテルで質問に応じるか、さもなければ、空港へ向かう車の中で質問に答えるか。「飛行機に間に合う可能性もあります」と彼は言った。私はほぼ反射的に、弁護士あるいは外交代表に引き合わせてくれ、と頼んだ。しかし「その必要はない」と言わんばかりに、彼は手首で軽く払いのけるような動作をしてみせた。「我々は単純に、あなたの出張の内容についてもう少し知りたい、ただそれだけです。事を複雑にしたり、遅れさせたりする必要はありません」と言った。

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イラン・テヘラン

ヘブライ語の落書き

 午後7時30分だった。私の飛行機は4時間後に出発する予定で、ホテルがあるテヘラン市内から飛行場へは車で1時間かかる。役人らは私をホテル内の小さな事務所へと先導し、椅子に座る私の周囲を取り囲んだ。

「あなたの携帯電話とノートパソコンを出してください」

 私は反対側の壁際に置かれたカバンを指さした。

「他にはありますか」

 私は2台目の携帯電話をポケットから取り出した。

 最も背の低い男が責任者のようだった。彼はぶかぶかのサイズの黒のジャケットにズボンをはいていた。波打つ髪は脂っこく、顔には深いしわが幾筋も走っていた。椅子に座った拍子に上下に跳ね、私の膝に手を伸ばしパンパンと軽く叩いた。私を安心させるためのジェスチャーだったのか、あるいは脅す意図があったのか、どう受け止めるべきなのか私にはわからなかった。

 警備官らが私の本やノートをパラパラとめくっていった。彼らは1枚のメモ用紙――私が前回の出張時に走り書きした紙だった――を手に取り、内容の説明を求めてきた。答えようとした瞬間、紙の裏に息子が巨大なヘブライ文字を落書きしていたことに気づいた私は、動揺していることを気づかれないように必死になった。何故わざわざこんなものをイラン出張に持ってきてしまったのだろうかと、自分を責めた。警備官らがヘブライ語の落書きに気づいたかは定かではなかったが、気づいていたとしても、何も言われなかった。

 私はトイレに行きたいと要求した。全く幼い子供のようではあるが、部屋に充満する緊張感から逃げ出したかったのだ。深呼吸をし、冷静になる必要があった。その日、私はホテルへと戻るタクシーの中で、幾つかのメールに目を通していた。その中には、パリ政治学院のフランス系イラン人の学者がつい最近、「国家安全保障違反」の疑いでイランに拘束されたというニュースもあった。それはまさに、今私が置かれた状況だった。

 彼等の中で最も身体の大きな男が私の背後にピタリと付き、地下のトイレまで下りて行った。男は私に扉を開けたままにしておくようにと身振りで伝えた。

 上の階へと戻ると、ホテルの会計を済ませるためにフロントデスクへと連れて行かれた。外には黒のセダンが2台、横付けされており、後方の車の後部座席に乗るように指示された。両側から2人の警備官が私をグッと挟み込むように座ると車は発進した。

 尋問は車の中で始まった。役人らが私へ注いだ関心度合いは恐ろしいというよりはむしろ、快いものであった。何十年も他人を取材するという立場で仕事をしてきた私にとって自分が取材対象に昇格したと感じたからだ。人生で私にこれほど興味を持ってくれた人は存在したことがなかった。

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イスラエルへの渡航歴

 背の低い男は私の家庭や学歴、これまでに訪問したことのある国や話せる言語などについて質問してきた。私はアラブ語、フランス語を話すと答えて一息つくと、ヘブライ語も話すと付け加えた。どうせ私について、このくらいのことは既に調べがついているに違いない、と確信していた。イスラエルに何回の渡航経験があるのか知りたがる彼らに対し、イスラエルとパレスチナへの渡航経験ですね、と私は自身の中立性を強調するために「パレスチナ」を付け加えた。ラジオには時折、ザザザと雑音が入った。

 空港に到着し、自分の荷物との「再会」を遂げた私は一安心した。ちょうどこの時点では拘束から2時間弱が経過していた。しかしチェックインするのではなく、飛行場の大玄関ホールの裏側の事務所に連れていかれた。部屋からは大きなガラス越しに階下の出発ロビーを見下ろすことができた。壁際に並べられた椅子の上にはスチロール樹脂製の食べかけの容器がいくつも放置してあり、骨付きチキンの残骸やサフランライスの米粒が散乱していた。

 私を拘束した人々の素性が徐々に明らかとなってきた――一国の最高権力を有する組織に所属する面々だったのだ。背が高く、ガタイが良い男は他の者よりも物腰が柔らかく、「ドクター(医者)」と紹介された。退屈でいらいらしているように見えた。

「携帯電話(スマートフォン)のパスワードを教えてください」と背の低い男が言った。

 私はいつも親指の指紋認証を使っていると告げた。

 途端にちょっとしたいらだちが見て取れた。

「飛行機に乗り遅れたくないのであれば、あまり時間はありません」と言われた。

私は携帯電話のパスワードを思い出すために精一杯、頭を絞って考えていることをアピールした。思いつく暗証番号をいくつか披露したが、どれも不正解だった。私の携帯には、海外特派員の多くが利用するアプリが入っていて、もしものことがあった場合に異変が察知されるよう、イギリスにいる同僚たちに20分おきに私の現在位置が通知されていた。彼らが何らかの異常に気付いてくれているかと考えた。

 ドクターが「最後のチャンスですよ」と言った。

 私が最後にしぼり出したパスワードでロックが解除された。

 するとドクターは顔をしかめ私を見ると、敢えてパスワードを教えなかったといわんばかりに「あなたは協力的ではない」と言い、「これは遊びではありません。あまり時間はないのです」と締め括った。

 ドーハ行きの飛行機のファイナル・コールが館内に響くと、「さあ、行きますよ」と言われた。あまりにあっけなく尋問が終わったことに拍子抜けしながら、私の航空券は誰が預かってくれているのだろうかと考えた。背の低い男が先導する形で我々は歩き始めた。出発ゲートはチェックイン・カウンターの左手に見えている。我々は逆方向へと曲がった。

 私の前後に男が2人ずつぴたりと張り付き、犯罪者を連行している行進と化した一行は、チェックインのエリアと出発ロビーの入り口を分割するプラスチック製のバリケードを通り過ぎ、X線の荷物検査機を通り過ぎ、先ほど到着した車寄せへと向かっていた。「たぶん彼等は近道を知っているのだろう」と私は思った。が、その考えもむなしく、我々を待ち構えていたのは、先ほど乗っていた車よりも古く、ボロい自動車だった。私は格下げされたのだった。

「ペルシア語で話しなさい」

 車は発進した。加速しながらその場を走り去る中、私は目隠しをさせられた。頭を少し持ち上げると、自分のつま先がやっとのことで見えた。ハチャメチャな運転に15分ほど耐えた末に、私は抱えられるようにして車から降り、何者かに先導してもらいながら、建物の玄関をまたいだ。目隠しが外されると、私はまた違う事務所の様な部屋に連れてこられたことがわかった。私は自分が拘束されている理由を探ろうと、何度か質問しようとしていたが、何かを聞こうとするたびに、相手は私に何か命令をしてくるだけだった。

「ファールシーで話しなさい」と繰り返し命令された。

「あなたはファールシーを知っている。お話しになれますよね」

 私は恐縮しつつ、ペルシア語は話せないと主張した。

「コーランを知っているか」と一人のぶっきらぼうな警備官が聞いてきた。後に彼の名前がアリだということを知る。

「呪われしサタンから神の庇護を」と、私は神聖なる祈りの暗唱にあたって儀礼として唱えられるアラブ語のフレーズを話してみせた。彼は面白そうな顔をした。

「あなた方は人質をとっている」と私は言った。「何故、人質をとるのですか」と続けた。

「待て」とアリは返答した(ちなみに、この「待て」はアリが最も好んで使う言葉であるということも、後に明らかとなる)。

 他の警備官らがスチロール樹脂製の容器に入ったケバブを抱えて入ってきた。

「肉は食べない」と、私はむっとして言った。

 そこで代わりに彼等が持ってきたのはきめが荒くパサついたビスケットと、極端に薄いプラスチック製のコップになみなみと入れられ、持っていられないほど熱い紅茶だった。私は不安に押しつぶされそうになる一方で、彼等を何とかして自分の味方につけなければならないと感じていた。そこでビスケットは拒否したものの、アリが再び紅茶を持ってきた際には、受け取ることにした。

 ドクターは部屋に入ってくると、私がイラン滞在中にしたことを全て書くように要求してきた。日々の行動を一つ残らず、ミーティングについても一つ一つ全てを、だ。また私が頑張って書けば書くほど、更に詳細を求めた。

再び車で連行

 拘束されてからおおよそ9時間後になってやっと尋問は一息つき、私は再び外に連れ出された。すると警備官らが上を見ろという。頭上には、早朝便に向け出発準備が整ったカタール航空の機体がそびえたっていた。我々は結局、この間ずっと飛行場内にいたというわけだ。最後の乗客が飛行機に乗り込んでいく様子が見えた。瞬間的に、私はわずかな期待を抱いた。だが途端に、警備官らがにやにや笑っているのが目に入り、心が沈んだ。滑走路脇には車が停車し我々を待っていた。車のドアは開かれ、私は中へ入れられた。

 テヘラン北部に連なる山々の背後からはあたたかく輝く日の出が見え始めていた。警備官は、私が牢獄よりも「ワンランク上」の場所に連れていかれるということを伝えてきた。彼は申し訳なさそうな笑みを浮かべながら私に目隠しを握らせた。今度は目隠しの下からもう少し景色が見えるくらいの位置に装着しても文句を言われなかった。私は車の前部座席の背もたれに手をかけた。ちらちらと目に入ってくる運転手の山形袖章から、ものすごい勢いで道路の路肩と本線をジグザグに走っていることがわかった。「約束では、私を殺すのではなく拘束するだけのはずだ」と私が皮肉を言うと、運転手はふふんと笑ったものの、肝心のスピードの方は一切緩めなかった。飛行場から市街へと戻っていることは明らかだった。どの道を通っているのか懸命に考えた。そうこうするうちに、我々は急こう配の傾斜路を下り、ついに停車した。重い脚を引きずるようにして、ゆっくりと2歩ほど歩いて建物に入ると、目隠しが外された。

 チャールズ・ディケンズの小説に登場するような、みすぼらしく、色白で背が低く、背中が曲がった人物がそこで私を待っていた。髪の毛は束になって生えており、顔と手はいぼだらけだった。この男は私にポケットの中に入っているものを全て出すように指示した。私はベルトも外し、最後にしぶしぶ、眼鏡も渡した。男の後ろについて廊下を進んだ。左手の一番奥の扉の鍵が開かれ、私に向かって中に入るのだと手で示した。大きな独房だった。20平方メートルはあっただろうか――床には薄いマットが敷かれていた。男が無言で指さした部屋の角には、かび臭そうな茶色の毛布が床に積み上げられていた。毛布に向かって歩き始めた途端、背後でガーンとけたたましく扉が閉まり、鉄のかんぬきが外側で勢いよく引かれた。高い位置にある窓から明け方の光が見えた。私は着替え、眠りに落ちた。

イラン国内のライバル関係

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source : 文藝春秋 2020年9月号

genre : ニュース 国際