2018年に行われたサッカーワールドカップロシア大会後、日本代表からの引退を表明した長谷部誠さん(36)。W杯は10年の南アフリカ大会、14年のブラジル大会、18年と3大会連続で出場。いずれもキャプテンを務め、日本代表を支えてきた。現在も彼はドイツブンデスリーガ1部、フランクフルトに在籍。6月上旬にはブンデスリーガにおけるアジア人史上最多出場記録を31年ぶりに更新した。異国の地で主力として活躍を続ける「キャプテン」に、このコロナ禍をどうとらえ、サッカーと向き合ったかを聞いた。(取材・構成=寺野典子)
父親として「鍛えられている」ような感覚
ドイツでも新型コロナウイルスが猛威を振るいました。ブンデスリーガも3月13日から約2カ月間、中断を余儀なくされました。3月下旬には外出制限等、厳しい制限措置が国中で取られるようになりました。
リーグ中断の決定直後、フランクフルトの選手から感染者が出たんです。すぐに僕ら選手に対して「自宅隔離」が命じられました。
その間は、本当に一歩も自宅から外に出られません。友人に食料品や生活必需品の買い物をお願いして、玄関ドア前に置いてもらいました。
でも、ずっと家にいる生活に、ストレスは感じませんでしたね。オフも含めて今までこんなに長く、家族と一緒に時間を過ごしたことがなかったので、むしろ新鮮でした。毎日、今年3歳になる娘の成長を間近で見られた。確かにコロナで世界中が大変だったけれど、僕自身にとって、今後こういうことが起こるかはわからない、特別な時間を与えられたと、受け入れていました。
娘と一緒にいると自分自身も父親として「鍛えられている」ような感覚を抱きます。まず、ダメなことはダメだと伝えるとき、自分の気分で叱り方を変えちゃいけないなとすごく気を付けています。まあ、でも必ずしもそれが完璧にできているかというと……難しいですよね。試行錯誤を繰り返しています。完璧なんてないと思っているし、肩ひじを張らず、娘を教育しながら、自分も教育されている感じです。
長谷部氏
「特権」を与えられた
ブンデスリーガでは、どの試合でも5万人を超える観客がスタジアムへ足を運びます。リーグが中断されたとき、僕らはレギュラーシーズンの試合をあと9試合残していました。もしこれらの試合がすべて中止になれば、「ブンデスリーガ全体で900億円以上の損失が出る」と報じられました。入場料収入だけでなく、テレビ放映権、スポンサー料の減収など、すべてのクラブが受ける打撃は小さくないんです。
中断後すぐに、クラブから選手に対して、給料の減額提案がありました。僕はチームと交渉する選手代表の一人として、その交渉の席につきました。
クラブ側から経営についての情報を聞き、話し合いをする。普段なら選手が知ることのできない情報にも触れることができました。
また同じ時期に、僕自身の契約交渉も行いました。今年の夏に満了する、選手としての契約を1年延長、同時にクラブアンバサダーとして3年契約を結ぶことになりました。
アンバサダーに就任したことで、クラブのマーケティング面での国際的な戦略や提携などの話にも加わり、本当に様々なことを学びました。それは自分の人生について考える時間にもなり、このコロナ禍ではありましたが、いろんな意味で僕にとっての財産になる経験ができたと感じています。
5月16日にブンデスリーガが、無観客試合という形で再開しました。世界の主要リーグの中でどこよりも早い再開です。ドイツ国内でも、まだ学校を始め、娘の保育園なども再開していない状況で、他のスポーツも解禁されていませんでした。さまざまな制限が残る中で、ブンデスリーガだけが、ある種「特権」を与えられたわけです。
サッカーは選手同士のコンタクトが激しいスポーツです。感染リスクを、不安には思わなかったのか? という質問をよくうけましたが、そういう不安はなかったです。なぜなら2日に1度くらいのペースでテスト(PCR検査)をやっていたし、試合前も、前日からホテルに完全隔離。人との接触機会を最小限にするため、それまで3人いた用具係が1人になるなど、スタッフの数も減らされていましたから。リーグ全体で目に見える対策を講じていたので、危険を感じることなく、サッカーができました。
ただ、その後、感染リスクを避けるため、レストランが再オープンしても、僕ら選手は外食を控えなければなりませんでした。また、子どもと公園へ散歩に行けないなど、私生活を犠牲にする一面もありましたが、「特権」を与えられた身としては当然だと受け入れました。でも、うしろめたさじゃないけれど、果たしてこの再開が正しいのかという疑問があったのも事実です。
スポーツが死んでしまう
それから6月末にブンデスリーガ最終節を迎えるまで、10回近く無観客試合を行いました。痛感したのは、スタジアムに集まってくれるファン、サポーターの存在が、いかに自分たちの力を引き出していたのかということです。
100%の力でプレーしているつもりでも、まったく足りていないと感じる試合が何度となくありました。例えば、最後のところで届いたはずの足がボールに届かないとか、体を寄せきれないなど、今までだったらできていたことができない。これは観客の声援の有無が影響していたと思います。サポーターの見えない力が、僕ら選手をあと押しし、100%以上の力を引き出してくれていたんです。無観客試合では、明らかに何か欠けているものがあるという違和感がずっとありました。
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source : 文藝春秋 2020年10月号