父娘歌人が選ぶ「コロナ禍の歌」

コロナ時代の生と死

永田 和宏 歌人
永田 紅 歌人・細胞生物学者・京都大学特任助教
ニュース 社会
コロナ以後、朝日歌壇への投稿が増え、そのうち6割~7割がコロナ関連の歌だという。永田和宏さんと永田紅さん親子は、歌人の河野裕子さんを10年前に自宅で看取った。どんな時でも日々の生活を歌にして詠むことへの思いを明かす。

投稿の6割7割がコロナ関連

 和宏 妻(歌人の河野裕子)が10年前の夏に亡くなってからというもの、同じ京都市内で暮らす紅が、週に4日はうちに来てくれていたんだけど、このコロナで一変したね。

 紅 夫が東京に単身赴任で週末だけ京都に戻る生活で、平日は子どもと実家に来ていたんだけど……。

 和宏 (紅の)旦那が京都でテレワークなのか、ずっと居るもんで。

 紅 婿いびりをしちゃいけません(笑)。ただ、お父さんはもう70代だし、感染が心配。私も街中に出た日はちょっと遠慮しようかなって。

 和宏 コロナ以後は(選者を務める)朝日歌壇への投稿も増えました。普段は週2500首ほどだったのが、最近は週に3000首。うち6割7割がコロナ関連の歌です。

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永田和宏氏

 紅 みんな家に籠って、歌を作る機会が増えたのでしょうね。

 和宏 まずは「マスク」の歌から始まった。投稿から掲載まで最速で2週間ほどのタイムラグがあるんですが、コロナ関連で最初に採ったのは2月23日。〈疑へばすべて罹患者バスの中マスクがマスクを監視してゐる(牛島正行)〉という歌です。

 紅 素顔だったら、人間そこまで攻撃的にならないかもしれない。だけど、マスクって仮面のようなもので、着けることで匿名性が付与されてしまう。その怖さが〈マスクがマスクを監視〉という言い方にうまく表れています。この歌もそう。〈バス停にコホンと咳の人一人列がわずかに左右にずれる(九法活恵)〉。この心理ってすごく分かるというか。

 和宏 自分一人だけじゃなく、みんなが思うから、列が歪むんだよね。

 紅 エレベーターとかでもつい息を詰めてしまう自分がいて。〈咳をする静まり返るバスの中「花粉症です」被告のごとし(和田順子)〉も、その辺りの心理を巧みに描いています。マスクとは違いますが、〈差し出した手のひらスルーしトレーへと置かれた釣り銭無言で拾う(野地香)〉。店員さんもお客さんも、お互いにどこか少し傷ついているんですよね。

 和宏 ただ、選歌をしていて思うのは、コロナのように一つのことが話題になる時って、みんないかに同じ感じ方をしているか、ということ。マスク不足を嘆く歌なんかも本当に多かった。でも大事なのは、どれだけその人ならではの視点で事象を捉えられているか。例えば〈街中で会う人会う人みなマスクどこの店でも売ってないのに(伊藤次郎)〉という歌は面白いよね。これだけマスクがないと言われてるのに、みんなマスクしてる、どこから来るんや、と。

 紅 ほんまその通りやなぁ(笑)。

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「会う人会う人みなマスク」という歌も

 和宏 それから〈ウイルスをゴルフボールとするならばマスクのメッシュは網無き網戸(原田浩生)〉。作者は別に科学者ではないと思うんだけど、ウイルスの大きさを聞いて、身近なもので換算したんだろうね。

 紅 スカスカやん、これじゃマスクで感染は予防できないって。

 和宏 そういう素直な驚きが伝わって、面白いなと思いました。サイエンスも歌で表現できるんです。ただ、最新の論文では、マスクに一定の予防効果があるとも報告されている。まだまだウイルスには分からないことがたくさんあるんですよね。

志村けんさんが亡くなって

 紅 私自身のことで言えば、東日本大震災の時は、京都で暮らしていたから、どうしても「当事者」ではなかったんです。だから、詠(うた)っちゃいけない、詠えないという意識がどこかにありました。だけど、コロナは様々な形で生活を変えた。「自分事」として詠えたという感じがあります。

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永田紅氏

 和宏 今回は誰もが「他人事」と思えなかったというのは、すごく大きい。それって明らかにフェーズが変わった瞬間があって、3月末に志村けんさんが亡くなった時からなんです。それまでは感染者数や死者数が、グラフの「数」として取り上げられるだけでした。私も〈対数に死者を目盛らば抜け落ちてひとりひとりの死の悲しみは〉と詠んだのですが、一人一人の死が語られることはなく、多くの人にとって、まだコロナは「他人事」だった。ところが志村さんという誰もが知っている方が亡くなって、感染防止のためにご遺族は最期を見送ることもできなかったと。こういう「固有名詞の死」が出てきて初めて、みんな「自分事」として捉えるようになったと思うんです。

 紅 朝日歌壇にも志村さんを悼む歌が幾つも載っていましたね。〈最後までコントか本当か分からない手品のように消えたおじさん(澤田佳世子)〉は印象的でした。

 和宏 最期の別れの時に手も握れないというのも、国民にショックを与えたと思うんです。

 紅 これもお父さんが採った歌ですが、〈この春に初めて遇ひたる言の葉の〈納体袋〉ふかぶか淋し(櫂裕子)〉。私もご遺体を包む「納体袋」という存在を初めて知りました。

 和宏 ただ、科学者としてあえて申し上げると、死者からウイルスは出ません。遺体からの滲出液にはウイルスが含まれている可能性があるから要注意だけれど、亡くなった方の手や肌をアルコール消毒すれば、ご遺族が手を握ったりするのは大丈夫だろうと思うんだよね。最期の別れさえも奪ってしまうのはちょっとやりすぎだと僕は思います。

 紅 私たちは、母の最期を自宅で看取ることができました。歌人らしく言いたいことを歌に残して旅立ったんです。そのことを思うと、病室のガラス越しに最期を見送るという状況は本当に辛いと思います。

 和宏 コロナによって、人に会えなくなったことを詠んだ歌も本当に多かった。同じ週(4月12日)にたまたま3つ、そういう歌を採ったんです。まず〈超満員人熱(ひといき)れする人込みの人人人の恋しかりけり(檜山佳与子)〉。文字通り「人」のことが恋しいという歌です。次に〈人人と最初に書いて肉の字を書く手元見て違和感覚ゆ(荒谷みほ)〉。

  これ、書き順が変だね(笑)。

 和宏 ホントだ。それから〈上下に二人ずついて纏まらず齟齬という字に人は八人(安川修司)〉。言われてみると、「齟齬」という熟語には「人」が8個ある。どこかで「人」への感覚が鋭くなっている。会うことを止められるというのは、日本社会が初めて経験することですから。

 紅 私もこの「齟齬」の歌は面白いし、うまいなぁと思いました。

夫婦の歌、私も作りました

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : ニュース 社会