「死」と「貧しさ」の価値を見つめて

コロナ時代の生と死

ニュース 社会 歴史
「戦争は本当に嫌でしたけど、いま考えると、一度否応なく体験させられてよかったなとも思います。どん底の経験もそれなりの財産になりました」
「自粛警察や、マスクをしていないことを非難するマスク警察さえもいるそうですね。戦時中も同じことがありました」
 ――コロナ禍の中でこそ、人生の本質が見えてくる。
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曽野氏(左)と村上氏

パーティが嫌い

 曽野 コロナが流行してからも、私の生活は全然変わらないんです。行きたいところも行くし、危険だとも思わないですし。村上先生のご生活はお変わりになりましたか?

 村上 それはもう、すっかり変わりました。今、日本アスペン研究所という法人の主催するセミナーに力を入れているんです。企業の幹部候補や高校生、大学生に、オルテガの『大衆の反逆』や森鴎外の『かのように』などの名作をテキストとして渡します。2泊や4泊の泊りがけ合宿で、そのテキストを熟読した結果を議論するんですが、全て中止になりました。で、ごく一部を……ご存じですか? 今、Zoomというのが大流行りなんです。

 曽野 え? 知らないです。

 村上 コンピューター画面上で会議ができるシステムです。これで合宿を代行する試みもあるので、外へ出る機会は本当に減りました。

 曽野 小説書きって現実主義者なんですよ。例えば身近な人がコロナになって、「大変だったのよ、お金がなくて」とか、そういう話が聞こえたらとても反応するんですけど、それがないと絵空事みたいな感じなんです。要するにイマジネーションの不足なんですね。でも、イマジネーションは不足している自覚もその人を救いますから。だいたいにおいて、裏目の反対、オモテ目に出ますよ(笑)。パーティのような人込みは、そもそも嫌いで行きませんし。

 村上 私もパーティは大嫌いで、どうしても義理があると、最初の10分だけ出て帰る。ビュッフェスタイルの夕ご飯も苦手なんです。

 曽野 「ご飯食べてらっしゃい」って言われるけど、パーティではそうも食べられないですしね。すぐ疲れて帰りたくなっちゃいます。出版記念会とかの出欠のハガキが来ると、自動的に「欠って書いておいて」って。お招きいただいたことを感謝しなきゃいけないのにね。銀座のような街に出かけるのも面倒ですし。知り人に会って、「あなたのお姑さん、お悪かったのはいかがですか?」と聞くのを忘れたり……そんなことを始終やるでしょう。

 でも、開発途上国のアフリカとかに行くのは好きでちっとも恐ろしくないの。私、賄賂なんかもうまく使いますし。

 村上 なるほど、ファンタジーとリアリズム双方が……。私は家でチェロを弾く時間が増えましたね。大学の仕事も退き、連れ合いも息子も仕事をしていますから、食事は全部自分で作っています。毎食自分が作るとなると、レシピを考えるようになります。

医師の父の教え

 曽野 あら、それはよいことですね。

 村上 スーパーでもレジの並び方が変わりましたよ。

 曽野 密にならないようにね。

 村上 そう、だいたい50センチぐらいずつ離れていますね。ただ、私が子供のころも、こうした衛生意識はやかましかったんです。親父が医者だったせいか、「電車のつり革には触るな。外から帰ったら必ず手を洗え。銭湯は性感染症の可能性があるから、湯船のへりには触れないようにしろ」とずいぶん注意されました。それから、家の手洗いのドアの前には、昇汞水(しようこうすい)というピンク色の液体が洗面器に入っていたんです。

 曽野 知っております。

 村上 それに手を入れて、消毒してから手を洗って、と習慣化していましたから、むしろ古い時代に戻ったような気がしないでもない。

 曽野 私は一人っ子で育ったのですが、この世で会ったことがない姉がいて、3歳のころ肺炎で亡くなりました。私は母が数えで33のときの子で、もう子供は生まれないだろうと思ったから、「この子を絶対死なせちゃいけない」って、過保護も良いところだったんです。アイスクリームも疫痢や赤痢になるからと食べさせてもらえず、消毒用アルコール綿を持ち歩いたりね。

 村上 金属の入れ物に入ったものがありましたね。

 曽野 子供時代は細菌恐怖症みたいに育てられていました。それはおかしいような気がして、何とか逃れなきゃと思っていたんです。それでアフリカへ行くようになりました。アフリカに行く前の2週間は、サンドイッチを食べるにしても、絶対に手を洗いません。細菌に慣らすんですね。だって、向こうに行って重病になると困るでしょう。

 村上 確かにそうですね。

貧困層が変わってきた

 曽野 私、普段は大食いなんですけど、現地へ行ったらわりと少ししか食べないんです。半分しか食べなかったら、取り込むばい菌も半分になるでしょ(笑)。あるとき、アフリカの田舎の小さな町でお昼ごはんを食べたとき、お皿が何枚も積んであったんです。現地の方に「お皿を1番上から取るバカはいないんですよ」って言われました。ヤギとかヒツジの群れがダーッと走ると、大量の砂ぼこりが1番上のお皿にかかるでしょう。だから中途から抜く。それがアフリカの秀才です。

 村上 インドの方々だって、人や動物の死体が流れているガンジス川で水浴びをして、その水を使い食事をする。でも、何ともないわけです。

 曽野 どうしてでしょうね。

 村上 一つは、生まれて間もなく決まる大腸の細菌叢(そう)が効いているという説ですね。私の存じ上げているイギリスの生物学者、ライアル・ワトソンという変わった男は、インドへ行くときには必ず寄生虫の卵を1個飲んでいくそうです。

 曽野 体内に入れておくのね。

 村上 そう、彼はフレッド君って名前を付ける。それでインドへ行くと、生水を飲んでも大したことにはならない。で、帰国すると、「ごめんね、フレッド」って、薬を飲んで出てもらう。

 曽野 「ご苦労さん」ですね。

 村上 またインドに行くときは、何代目かの別のフレッドに入ってもらうんだそうです。

 曽野 インドのハンセン病の病院に行ったときに、患者さんの家族がお世話になったシスターにレタスの葉っぱを持ってきたことがありました。どんな虫が付いているか分からないけれど、あまり見事なレタスなので、いただきたい。それで、私はお湯を沸かして、一枚ずつ沸いているお湯にくぐらせたの。回虫の卵は何秒かで死ぬだろうと思って。

 村上 しゃぶしゃぶみたいですね。しかし日本は、曽野さんがいらした開発途上国にみるような最貧困層は少ないはずでしたが、近頃は、今までの富裕層と貧困層という分類があてはまらないように感じます。

 曽野 そうですか。

 村上 例えば音楽家も、NHK交響楽団とか読売日本交響楽団とかにいる方はある程度固定給があるのでしょうが、一般のオーケストラや、楽器のレッスンなど日銭で生計を立てている方も多い。以前なら、きちんと暮らしている彼らを貧困層とは言わなかったでしょう。だけど、現在は、コンサートも再開できず、対面のレッスンもできず、彼らが貧困層の代表例のようになっている。

 曽野 月給がまあまあ入ってきて、一生食いはぐれないだろう生活ができた人が中流階級だった時代は、とても健全だったのでしょうね。

 村上 政権を批判するわけではないけれど、自粛か経済かという二律選択それ自体がすごく気になります。問題は経済ではなくて、生活でしょう。経済が豊かになれば必然的にみんなが幸福な生活になれるという戦後の確信が、今でも続いてしまっているんですね。そもそも、人の命と並行させるものを経済という言葉で置き換えてしまうことに、私はかなり違和感があります。どこへ行くのも誰に会うのも、その人が人間らしい生き方をするには、周囲は尊重してあげなければいけないという前提がある。そうした人間の行為をすべて「経済」とひっくるめて言ってしまっているのかもしれないけど、それはあんまり寂しい感じがするんです。私もまさに年寄りの超高齢者ですが、自分ができる範囲の行動まで、思いやりと称するもので束縛されるのはごめん被りたい。

 曽野 日本は豊かになりましたでしょう。私なんか、戦中戦後の貧しい時代を知っているけれど、貧しさを知らない人が増えたから狂ってきたような気がするんです。

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お醤油を詰めた段ボール

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : ニュース 社会 歴史