自衛隊から日産を経て日本電産の社長に。「永守会長の分身になる使命がある」と語る新トップが描く未来とは(聞き手・構成 井上久男)
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▶︎関は日産から日本電産への転職は断るつもりだったが、永守に説得されて入社を決めた
▶︎関は陸上自衛隊に入隊した経験を持つ異色の経営者でもある
▶︎日本電産は、2023年までに平均年収を30%引き上げるつもりだという
関氏
「サステナビリティが最も重要」
実は、日産自動車で副COOに就任する以前から、創業者の永守(重信)に声をかけられていましたが、「今は動けません」と断り続けていました。ところが、永守は「一回会っておこう。今後ともいろいろ付き合いがあるから」と誘いをかけてきたのです。日本屈指の経営者と一対一で会えるのは願ってもない機会ですから、「ぜひお願いします」と即答しました。
2019年11月初頭に京都に向かったとき、転職は断るつもりでした。ところが永守は私の意向などまったく聞くつもりがない様子で、「なぜ日本電産に関が必要なのか」と、2時間半にわたって説き続けたのです。
「企業にとって最も重要なのはサステナビリティ(持続可能性)だが、そのためには成長を続けなければいけない。企業も飛行機と同じで、推進力がなければ飛び続けることはできないんだ。売上高10兆円は達成できると確信しているが、いかんせん私も年だし、ものづくりに加えて経営も分かる人間が必要だ。それは君なんだ」
「10兆円」「成長」「サステナビリティ」という言葉が、グサッ、グサッ、グサッと心に突き刺さりました。
その場で、「ではお願いします」とは言いませんでしたが、日産に残る人たちには申し訳ないと思いながら、日本電産に賭けることにしたのです。
正直、年収は下がりました。でもそんなことはどうでもいい。私の力で日本電産を成長させられるかどうか、残りの人生をかける価値があると決断したのです。
永守会長の「分身」になる
1月26日現在、日本電産の株式時価総額は約8兆5900億円である。自動車関連企業でいえばホンダの約1.7倍で、トヨタ自動車に次ぐ国内第2位だ。
日本電産を一代でグローバル企業に成長させた永守重信会長兼CEO(76)だが、後継者選びには苦しんできた。2018年にタイ日産の社長を務めた吉本浩之氏を社長に迎えたが、わずか2年で副社長に降格。永守氏は株主総会などで「トップ人事での間違いはもう許されない」と語っている。
こうした中で白羽の矢が立ったのが関潤氏(59)だ。2019年12月に日産でナンバー3の副COOに就任するも1カ月で辞任。2020年4月、日本電産の社長兼COOに就任した。
社長就任会見で永守会長(右)と
永守が3人の仲間と共に日本電産を立ち上げたのは1973年のことです。それから48年。いま、売上高は1兆5000億円を超えています。このスピードで成長できた要因は、社を引っ張ってきた永守の決断の速さとクオリティ、そして結果が出るまでやり遂げる執念にほかなりません。ただ、永守が「日本屈指の経営者」と評される一方で、「日本電産を引っ張っていけるのは永守会長以外に誰もいない」と見られていることは、私もよく承知しています。
2030年の売上高目標は10兆円。これから10年で売上を7倍伸ばそうという時に、「全て会長が決めてください」でやっていけるはずがない。今後は、永守への「依存度」を下げることが大きな課題です。
まだまだ力不足かもしれませんが、私には永守の「分身」になる使命があると考えています。今は経営戦略の根本的な部分で狂いが生じないように、永守とは週に一度、「1on1」と呼ぶ話し合いの時間を設けています。一対一で膝を突き合わせ、一つ一つの案件について齟齬が生じないように徹底的に議論をするのです。
「1on1」以外にも普段から矢継ぎ早に指示や問い合わせなどのメールが来て、それに私が返信する「交換日記」のような形でも意思疎通を図っています。いわば永守を家庭教師のようにして、経営について勉強させてもらっているところはあります。もちろん、他の社員ほどではないにしても、私も叱られてしまうことはありますが(笑)。
防衛大で夢を失う
関氏は、「必達目標」を重視するカルロス・ゴーン氏の下でも役員を務めていた。永守氏は強烈な個性とカリスマ性を持ち、信賞必罰を重視する経営者という面においてはゴーン氏と共通する。永守氏と二人三脚で経営を進めていく上で、日産時代の経験は生きているのだろうか。
その問いについては「イエス・アンド・ノー」です。強烈なカリスマ同士という点ではイエスですが、ゴーン氏がトップだった頃、私の日産社内での序列は15番目くらいで、間に多くの役員がいました。少し距離がありましたから、すぐ上に永守がいて、緊張感と同時に親近感を持って働ける、いまの環境とはまったく違います。
CEO(最高経営責任者)である永守は、どの分野に力を入れるか、経営における「What」を決断する立場です。一方、COO(最高執行責任者)である私は永守の決断をいつ、どうやって実行していくかを決めるのが仕事だと考えています。
日本電産は身の回りのあらゆる電機製品を動かすためのモーター屋です。家電や医療機器など幅広い事業を手掛けていますが、永守はパソコンなどに使う精密小型モーターのほか、事業拡大に向けたM&Aなどを担当して、私は車載用モーターのほか、エアコンや洗濯機向けなど家電・商業・産業用モーターも任せられています。精密小型モーターは創業以来、日本電産を支えてきた土台ですから、いわば「ディフェンス」の部分。今後は、将来的に伸びていく分野への「オフェンス」にも力を入れていかなくてはいけません。
次世代自動車産業へのシフトが加速する中で、最も成長が期待できるのはEV(電気自動車)向けの車載用モーターです。永守はEVで覇権を握るために、日産自動車にいた私を呼んだのでしょう。
長崎県佐世保市に生まれた関氏は、陸上自衛隊に入隊した経験を持つ異色の経営者でもある。
将来の夢はパイロットでしたが、父は私が幼いころから入退院を繰り返していて、実質的に母が家計を切り盛りしていたので経済的な余裕はありませんでした。両親に負担をかけまいと、小学校4~5年生の頃には、パイロットになるため、学費のかからない防衛大学校を目指すと決めていました。
無事、防大には合格しましたが、そこで人生を変える大きな出来事が相次ぎました。入学してほどなく視力が低下してしまい、パイロット適性の基準がクリアできず、夢を断たれてしまったのです。
大学2年の時には父が亡くなりました。母に苦労をかけないために陸上自衛隊に進むつもりでしたが、大学4年の秋には母も他界。それでも自衛隊には入隊しましたが、「これからどうすればいいんだろう」と喪失感にかられ、次の仕事を決める前に除隊したのです。
日産で育まれた“関色”
1年半の空白期間を経て日産の門を叩きました。自衛隊とは全く違う世界に行きたかっただけで、元々自動車会社に入りたかったわけではありませんが、海外でエンジンの現地生産に携われたことは大きかったと思います。1990年から3年間、イギリスで小型車「マーチ」用エンジンの現地生産化に携わり、2001年からはアメリカでピックアップトラックや「アルティマ」というセダンの現地生産も担当。生産技術のベースに加えて、外国人とチームを組んで働くノウハウを学ぶことができました。
2013年から5年間、副総裁や総裁として経営を担った中国の合弁会社「東風汽車」では、最後の年に日本市場の3倍に当たる150万台を販売しました。利益率も15%を超えていましたから、中国市場を日産の稼ぎ頭に成長させることができたと思います。グローバルな経験を重ねてきたおかげで、いま永守も外国人幹部に対して「関と相談しろ」と言ってくれているようです。
今後、EV向けの車載用モーターを売っていくためには、モーター技術の専門家としての視点だけではなく、完成車メーカー全体のことも把握していなければなりません。日産時代の経験を生かしながら、どんどん“関色”を出していきたいと思っています。
昨年12月、政府はガソリン車の新車販売を2030年代半ばまでに禁止する「グリーン成長戦略」を打ち出した。今後はEVやハイブリッド車などの市場規模が急速に拡大していくと見られている。
中国発、格安EVの衝撃
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source : 文藝春秋 2021年3月号