東大に女子が入学して75年。華麗な経歴の陰に隠された葛藤とは——
<記事に登場する人>
山口真由さん
赤松良子さん
栗崎由子さん
中野信子さん
豊田真由子さん
三輪記子さん
あられさん(仮名)
宮下里美さん(仮名)
北村紗衣さん
藤田優さん
女性の価値と成績のよさ
「私、ここまで追いつめられていたんだなと思って……」
華やかなサテン地のブラウスをまとった女性の言葉はそこで途切れ、大粒の涙が溢れた。
彼女の名は、山口真由。コメンテーターとしても活躍する山口は、東京大学法学部在学中に司法試験と国家公務員Ⅰ種試験に合格。2006年の卒業時にはオール優の成績で総長賞を受賞した。財務官僚を経て弁護士となり著名な法律事務所に勤務後、ハーバード大学ロースクールに留学、東大大学院博士課程修了という、超のつくエリートだ。
そんな彼女が涙を流したのは、法律事務所を辞める頃を振り返っていた時だった。
「私は昔から圧倒的にできた経験なんてなかったのに、自分は飛び抜けてできるはずだという自己認識を持って社会に出て、財務省の時も弁護士の時も思うようにできないことを納得できなくて。私が悪いんだ、駄目だ、と自分を責めて疲れてしまったんです。今思えば単純にその仕事が合うか合わないかの問題なので、次の道を探せばよかったんですが」
当時付き合っていた恋人からはこう言われていたと、山口は自著に記している。「勉強はできるけど仕事はできないね」「東大首席タイプと付き合いたい男なんか他にいないよ」
この恋人には仕事の苦悩を明かせなかったという。
「彼と結婚することを考えていましたし、認められたかったから、仕事がうまくいっていないと気づかれたらどうしようと思っていました。彼は彼で自信がなかっただけなのに、精神状態が悪かった私は、マウンティングされているように感じ、自己肯定感がすり減っていって……」
山口真由氏
この話を聞きながら、2019年の東大入学式で話題になった上野千鶴子名誉教授の祝辞を思い出した。こんな一節がある。
「男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがある」
女子は子どもの時からかわいいことを期待される。それは愛され、選ばれ、守ってもらえる価値であり、相手を絶対脅かさないという保証が含まれる……と祝辞は続く。
山口がかつて抱えた仕事の苦悩は、男女関係なく東大生にありがちな悩みだということだった。だが恋人との葛藤が生じたのは、上野の指摘する女子特有の「ねじれ」によるものではないか。
入学式で祝辞を読んだ上野千鶴子氏
東大に女子が入学できるようになったのは1946年のこと。以来2020年度まで、学部生に占める女子の割合は2割を超えることがなかった。今年初めて合格者のうち女子が21.1%を占めたとニュースになったが、日本の大学全体では女子が45.5%であり、他大学と比べて依然として低いのが実情だ。
東大卒業生の少数派である女性たちに迫ろうと、筆者は文藝春秋デジタルで「“東大女子”のそれから」という連載をしている。「東大女子」というのは東大内で一般的に使われている女子学生の総称だ。これまでに20~90代の卒業生10人に話を聞いてきた。
個々人の生き様を知りたかっただけではない。日本の大学の最高峰に入るような優秀な女性たちが、その後の人生で、女性というだけで努力では破れない壁にぶつかることはあるのか。あるとしたらその「壁」とは何なのかを知りたかった。当初は職場での出世を阻む「ガラスの天井」のような話になるかと想定していた。だが取材を続けるうち、見えにくいガラスや高い天井のようなものではなく、もっと低いところにある障害で彼女たちが苦労してきた様子が浮かび上がってきた。
「壁」の質が転換した節目
「東大女子」が誕生してからの75年で、彼女たちの活躍を阻むものの質が転換した節目がある。男女雇用機会均等法の施行(1986年)だ。これ以前の女性たちにとって最大の壁は、就職での差別だった。
労働省(現・厚生労働省)で初代婦人局長に就任し、「雇均法の母」と呼ばれる赤松良子(1953年法学部卒)は、東大が女子学生に門戸を開いて5年目に入学した。赤松が振り返る。
「とにかく男の学生が親切だった。(法学部の同期生)800人中4人しか女子がいないから目立つじゃない。それで私は、社会に出ても男性が皆親切なものかと思っていたら、そんなことはないよね」
当時の民間企業では男女で採用基準が異なるのが一般的だったため、赤松は国家公務員を目指し、上級の6級職試験に合格した。しかし、女性を採用するのは全省庁のうち労働省だけ。しかも最初からある程度「上がり」が見えていたという。
「女性は決まったコースがあるみたいだなと私も皆も思っていた。婦人少年局という局長も課長も女性の局があって、最後はあそこの局長か、なんてね」
赤松は自身の悔しさをばねに、職業上の女性差別をなくすよう法の制定に奔走した。
就職活動で「差別とはこれか」
栗崎由子(1978年教養学部卒)は、均等法以前に社会に出た世代だ。東大駒場キャンパスに女子トイレのない校舎があることは気にしなかったが、就職活動で「差別とはこれか、と初めて実感しました」と語る。会社訪問しようにも、大卒女性を募集する会社がほぼ皆無だったのだ。
栗崎は狭き門を突破して、日本電信電話公社(後のNTT)に入社した。大卒本社採用330人のうち女性は3人。東大の同期生の女性たちは、大学院へ進学して研究者になったり百貨店に就職したりした。大手商社を志した友人は、男性の補助業務を担当する職種を受け入れるほかなかった。
栗崎は入社後「初めて地方転勤をした本社採用の女子社員」になった。そもそも高度成長期は女性採用をストップしており、本社採用の女性というだけで「最初は社内外で白黒が逆になったパンダのように珍しがられた」という。そんな栗崎は1989年にOECD、そして多国籍企業へ転職した。なぜか。栗崎は言う。
「当時、NTTの社内会議で意見を言うと『あなたは個性が強すぎる』『発言できない人のことも考えろ』と上司に注意され、自分を小さくすることにエネルギーを消費している感じがありました」
最近問題になった、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長による女性蔑視発言と重なる内容だ。だが、森が辞任に追いこまれた現在とは異なり、栗崎の時代にはそれが日本の「常識」だった。栗崎は「世界の常識」を選び、日本を出たのだった。
「仕事もしたい、子どもも欲しい」
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source : 文藝春秋 2021年5月号