『21世紀の人と国土』と題した、ひと頃は日本の国土計画の「顔」のような存在であった故・下河辺淳(しもこうべあつし)の評伝(著者は塩谷隆英、発行元は商事法務)を読んでいて、そう言えば下河辺さんはよく言っていたな、と思い出した。それは次の一句である。
「われらが日本には、カネもなければ技術もない。だから、知恵を働かせるしかない」
この一句は、今の日本人には少々説明が必要かもしれない。“ひと頃”ならば日本は経済大国になっていたし技術もあったのでは、と思う人がいるであろうから。
それで、まずはカネ。一時期は経済大国になった以上はあったカネだが、これも活用のしかたを知らないと、それこそ一時期で終ってしまう性質をもつ。古今東西の歴史でも、いやと言うほど実例がある。
次は技術。これもまた、経済大国になれた要因の一つは技術にあった以上、その頃の日本は持っていたのだ。
しかし、国土庁の事務次官であった彼の考えは、一時期ではなくそれを長つづきさせることにあった。それには、国家的な政策として、「養魚池」ないしは「苗床」を整備してやる必要がある、と。
この種の任務は各大学や各企業の研究所が一応は果してはいたのだが、ともするとたて割りになりがちなそれらのわくを超えて自由に交流が可能な、一大養魚池ないし一大苗床を作るという感じ。
筑波学園都市や京都と大阪と奈良が交わる地帯に建てられた研究都市にあれほども力を入れていたのもその考えによる。一応はできたカネと一応はあっても大学や企業に散在している技術の、より以上の有機的活用である。
このような問題を語るときの下河辺淳の話し方は禅問答のようであったから私みたいな単純な頭脳に置き換えれば、彼の言う「知恵」とは、無いものをしぼり出すことではなく、すでにあるものを活用すること、となる。
しかもそれが長期にわたって継続するようになると、人間の本性からも、活用していく過程でごく自然に、それまでは持っていなかったものまで獲得することにつながっていくからだ。
さらにその後も研究者たちは、大学や企業にもどって一段と花を咲かせることも可能。養魚池の効用はそこにこそある。つまり、長期にわたっての技術的経済的な繁栄にもつながる、ということだ。
もしも、この後の政治家たちにこの種の事業の重要度へのセンスがあったならば、今頃は日本列島の東半分には筑波、西半分には京阪奈という、シリコンバレーが2箇所もできていただろう。
しかし、下河辺さんとて官僚だ。
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source : 文藝春秋 2021年7月号