星野智幸「植物忌」

文春BOOK倶楽部

中島 岳志 東京工業大学教授
ニュース 読書

人間の言葉と植物のコトバ

 コロナ危機が始まり、毎日マスクをするようになった。ウイルスは飛沫によって感染するという。だから、私たちは口と鼻を覆わなければならない。自分が感染しないように。人に感染させないように。

 マスクをして気づいたのは、私たちが思いのほか多くの飛沫を交換して生きてきたということだ。私たちは呼吸し、会話する。私の体内にあった空気は、息となって放出され、他者の体内に取り込まれる。この「他者」は人間に限らない。動物の体内にも入り込み、植物にも吸引される。私たちは、呼吸と光合成によって交わっている。

 どこまでが自分で、どこからが他者なのか。人間だけでなく、動物や植物との境界線は思いのほか曖昧だ。私を構成している体内の空気は、ついさっきまで植物のいのちを構成していたものだったりする。緑に囲まれた森林で呼吸をすると、私の中を心地よい快楽が駆け抜ける。これは私と植物のいのちが交わった瞬間の喜びだ。

 星野智幸は、人間のアイデンティティについて探求してきた作家である。自他の区別がつかなくなる解放感と危険性を、粘り強く描いてきた。私が私であろうとすると、そこに我執が生まれ、苦しみが生じる。「あるべき自分」という規範が私を圧迫し、私の可能性を阻害する。一方、私を私から解放し、他なるものとの合一化が進むと、そこに全体主義の愉楽と暴力が待ち構えている。私とはいったいいかなる存在なのか。救いとは何か。

『植物忌』は2007年から現在までに書かれた短編を収録している。星野は植物や微生物のつぶやきに耳を澄ませる。聞こえてくるのは、人間の言葉とは異なるコトバだ。そして、「自分の感じ取ったつぶやきを、物語の感触として再現」しようとする。「そうすれば、私が古植物や土の一部になれるような気がして」

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
新規登録は「月あたり450円」から

  • 1カ月プラン

    新規登録は50%オフ

    初月は1,200

    600円 / 月(税込)

    ※2カ月目以降は通常価格1,200円(税込)で自動更新となります。

  • オススメ

    1年プラン

    新規登録は50%オフ

    900円 / 月

    450円 / 月(税込)

    初回特別価格5,400円 / 年(税込)

    ※1年分一括のお支払いとなります。2年目以降は通常価格10,800円(税込)で自動更新となります。

    特典付き
  • 雑誌セットプラン

    申込み月の発売号から
    12冊を宅配

    1,000円 / 月(税込)

    12,000円 / 年(税込)

    ※1年分一括のお支払いとなります
    雑誌配送に関する注意事項

    特典付き 雑誌『文藝春秋』の書影

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2021年7月号

genre : ニュース 読書