移動は生きるためでなく人間の存在そのもの
人類は太古より自然のなかで暮らし経験と知恵を獲得し、現在の肉体と精神をもつにいたった。ではその自然との関わりの始原には一体どのような経験があったのだろう。25年ほど探検をつづけて私が個人的に始原的行為と感じるのは次の2つだ。一つは狩猟、もう一つはナビゲーションである。
狩猟はわかりやすい。狩りは生きるために動物を殺生する行為であり、そこから人類の感性は形成され、神話が語られ、世界観や自然観が作られた。しかしナビゲーションがなぜ始原なのか?
だがナビゲーションこそ始原中の始原なのだ、と私は思う。
人は空間を移動する存在であり、太古の昔に移動することは未知の世界に飛び出すことに等しかった。そのとき人の移動を支えたものは何だったのか。それは周囲にあまねく散らばる自然界の事物である。
何も無い場所はこの地球上に存在しない。イヌイットは広漠とした氷原で風紋を手がかりに旅をし、オーストラリア先住民は不毛と思える大地でソングラインという移動路をつくりあげ、南太平洋の航法師は波の動きや星の煌きを頼りに広大な海をわたった。まったく手がかりのないような場所でも人は必ず目印を見つけ記憶に定着させることで、無辺な広がりのどこに自分がいるのかを把握しようとつとめてきた。
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source : 文藝春秋 2021年6月号