夏のローマ

日本人へ 第183回

塩野 七生 作家・在イタリア
ライフ

 生来のヘソ曲がりゆえか、人々がどっとくり出す季節には居残り、人々が帰ってくる頃になって出て行くのが習性になって久しい。それで夏にローマに残っているのも気にならないで長年が過ぎたのだが、と言っても6、7、8月の3カ月は、私にとっては執筆の期間でもあったのだ。

 籠城中につき、と言って人とはほとんど会わない。わざわざ日本から来た人は例外にしたが、夕食までは共にしない。7時に起き9時から午后の3時までと決めていた仕事のほうを、最優先したからである。ストイックもイイところの夏の過ごし方は、ローマ史を書くためにここに移ってきてからだから、27年間もつづいたことになる。それから解放されたのが、部厚い一冊になること必定の歴史エッセイはこれで終わりと決めた今年からだった。

 6時頃に眼が覚めると、まず家中の窓を明け放つ。都心であってもテヴェレ河に近いので、涼しい川風に乗って鳥の鳴く声がとびこんでくる。それを聴きながら、しばらくは寝床の中で空想しながら時を過ごす。8時近くになるとさすがのローマっ子も働らき始めるので、窓は閉める。外部の騒音と暖かくなった風が入ってくるのを阻止するため。9時頃からは、テレビニュースを見ながらゆっくりした朝食をとる。日本からは悪いニュースしか入れてくれないので、日本からのニュースがないだけで安心する。

 ときには近くのホテルの庭で朝食をとる。こちらの人はホテルを宿泊客専用と思っているけれど、私は日本人的に使う。朝食に行ったりマッサージに通ったり、お客を迎えるときの応接間にしたり。風にそよぐ緑の下での夏の朝食は悪くない。

 ローマを形容する言葉に「アリオーザ」というのがあるが、そよ風が常にふいているのがローマで、盆地にあるフィレンツェとはそこがちがう。街のどこにいても常に微風を感ずるというのでは、ロードス島も同じだった。そのロードスに1週間もいた結果、ここに送られた若者たちはどんな想いでいたのだろうと考え始め、『ロードス島攻防記』が書けてしまったというわけ。

 復活祭から秋の終わり頃までは観光客でごった返すのがローマだが、観光客にはいくつかの場所に限ってごった返すという性向がある。そのいくつかさえ避ければ、ローマは広いのだし、世界中から来た観光客にもみくちゃにされないですむ。

 と言っても、ローマを訪れるのは始めてという人には、長い行列を我慢してもヴァティカン美術館を訪れ、ミケランジェロの「天地創造」を始めとする西欧文化の傑作の数々を賞(め)でるのも必要だろう。いかにネットで探索できると言っても、ホンモノを前にしたときに受ける、それを創作した人の気迫までは感ずることはできない。トレビの噴水にコインを投げ入れるのもスペイン階段の石段に坐わってみるのも、ローマに来た証拠だから大切だ。当初は私も、完全に観光客をやったものだった。

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source : 文藝春秋 2018年09月号

genre : ライフ