50年昔の30代が考えていたこと

日本人へ 第184回

塩野 七生 作家・在イタリア
ライフ 社会

 勉強し、考え、それらを基にして歴史を再構築するという意味の「歴史エッセイ」は昨年末で終わりにしたので、今年は時間がある。それで今年に入ってからは、これまでの私の仕事とは無関係な読書に費やしているのだが、この半年間で漱石、鴎外、荷風の作品を読んできた。この三者とも、海外体験があることでは共通している。海外体験者の「日本回帰」に、興味をそそられたからだった。

 ところが今は、この文豪3人はひとまず置いて、国際政治学者だった高坂正堯の作品を読んでいる。文人と学者のちがいはあっても、海外を体験した人の日本回帰、ということならば同じなのだから。

 高坂正堯は1934年に生れ、生きていれば今年で84歳になるのに、62歳で死んでしまった。その彼には多くの論文や著作があるが、それらは死の4年後に都市出版から全集として刊行されている。

 だがここでは、『世界地図の中で考える』と題された1冊にしぼることにする。「新潮選書」で、値段も1400円と安いから一般向き。一般の読者向きという理由には、文章の流れの良さもある。学者でも文人並みの文章が書けるのだ、と思わせてくれる1冊。ほんとうは抜粋などはしたくないが、紙数の制限でやむをえない。この作品のあとがきで、彼は次のように言っている。

「われわれは二重の意味で、前例のない激流のなかに置かれている。ひとつには通信・運輸の発達のおかげで世界がひとつになり、世界のどの隅でおこったことでも、われわれに大きな影響を与えるようになった。(略)そして、歴史の歩みは異常なまでにはやめられた。次々に技術革新がおこり、少し前までは考えられもしなかったことが可能になる。われわれの生活はそれによって影響を受けるから、われわれは新しい技術に適応するための苦しい努力をつづけなくてはならないのである。ややもすると、われわれは激流に足をとられそうになる。

 皮肉なことに、こうした状況はかつて多くの人々の夢であった。人々は世界のどこにでも手軽に行け、世界中のできごとを早く知りたいと思ったし、文明ができるだけ早く進歩することを願った。そうした願望は大体のところ実現したのである。そして、実現した願望が今やわれわれに問題を与えている。

 そのような状況を捉えるためには、なによりも事実を見つめなくてはならない。とくに、文明について早急な価値判断を避けて、その恩恵と共に害悪を見つめることが必要であると、私は考えた」

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source : 文藝春秋 2018年10月号

genre : ライフ 社会