めぐるあのはる

ハコウマに乗って 第13回

西川 美和 映画監督
ライフ 社会

 11年前の震災の時、私は実家のある広島に長逗留して小説を執筆していた。東京のアパートは食器が割れたり本棚が倒れたりとそれなりに散らかったが、本震の揺れと恐怖は体験していない。それは本来幸運なことなのだけど、帰宅難民になったりインフラの麻痺や原発爆発の渦中にある人々に比べて自分は、1人だけずるをして得しているような後ろめたさを感じていた。混乱と不安の渦巻く東京に帰る必要などないのに、帰らねばならないのではないか? と焦燥を募らせた。物書きとしてのジャーナリズム精神などという高尚なものではない。仲間や友人と同じだけの苦痛を共有しておかなければ、何かが失格になる気がしたのだ。その「何か」とは何だったんだろう?

「同調圧力」という言葉がしきりに使われるようになったが、圧力など直接誰からも受けていなくても、人間には勝手に大きな流れに同化しようとする心の働きがあるのかもしれない。たとえその大きな流れが不幸や災難に行き着くとわかっていても、自分だけそこから取り残されることの方を怖がるのだろうか。

 けれど結局私はその後も数週間広島に留まった。日々数を増す被害の報せや、知るほどに恐ろしい原発の情報にのめり込みそうになるのを止めるために、ネットケーブルを引っこ抜き(当時はWi-Fi環境がなかった)、震災とは全く関係のない、太平洋戦争終結の出来事を題材にした物語をパソコンに打ち込んだ。震災を知らぬ、という後ろめたさを背負いつつ、知らぬ戦争の話を書いたのだ。

 2ヶ月経った頃、有志の映画界の人たちに誘われて『男はつらいよ』のDVDなどを持って東北沿岸部の避難所や仮設住宅を回る上映会を手伝った。寅さんが選ばれたのは、「人が死なない」「海を連想しない」ものが多いからだと聞いた。やって来た人の多くはお年寄りだったが、時たま笑い声も漏れた。避難所近くには映画館がなく、今のように各々が端末で配信映画を観る手段もなかったし、スクリーンで映画を観て、少しでも息抜きになればという映画人の発案だったのだ。

 そんな中で出会った、ある避難所の責任者の言葉が忘れられない。

「お気持ちはありがたいけど、慰問のイベントに疲れている人達も多いです。現実がきつすぎて拍手する余裕なんてないし、じっとしてたい。だけどこちらの人々は我慢強いですから、せっかく来てくれた方々に対しては、出向いて行って喜んであげなければ、と思っちゃうんです」

 これも本音だろうと直感した。私たちの稼業に、災害直下のリアルタイムでできることはとても少ない。

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source : 文藝春秋 2022年3月号

genre : ライフ 社会