ウクライナ戦争はいつまで続くのか
ピョートル大帝といえば、17世紀末から18世紀初頭にかけてロシア帝国を大国の地位に押し上げた皇帝だ。21世紀のロシアの大統領が、自らをその皇帝になぞらえて他国への侵略を正当化するという、信じがたい光景を世界は目の当たりにしている。
ロシアは、国連安全保障理事会常任理事国という責任ある地位にありながら、国連憲章を公然と踏みにじり、2022年2月24日以来、ウクライナという、れっきとした独立主権国家への侵略をおこなっている。
そして民間人を攻撃することを躊躇しないどころか、凄惨な戦争犯罪にまで手を染めているのだ。
去る5月9日におこなわれたロシアの対ドイツ戦勝記念式典でもプーチン大統領は、自らの非を認めるどころか、ウクライナを「ナチス」となじり、自分たちが一方的に「正しい」と称するものを振りかざした。
この「5月9日」をはじめ、昨今ニュースでよく耳にする「ナチス」にしろ「ハルキウの戦い」にしろ「レンドリース(武器貸与)法」にしろ、いずれも第二次世界大戦を彷彿とさせる用語である。プーチン氏は第二次世界大戦の反省のうえに立つ国際秩序を意に介さず、時計の針を巻き戻しているような印象だ。
ロシアの侵略から4ヶ月以上が経過したが、プーチン氏は当面この戦争を終わらせるつもりはなさそうである。
ウクライナ側の抵抗に一時は押し戻されつつあるとみられていたロシア軍だが、このところ戦局での優位を伝えるニュースが増えてきた。逆にウクライナ軍の武器の不足が深刻である。
一方で西側の支援をめぐる「ウクライナ疲れ」や、西側の足並みの乱れを指摘する報道も出ている。
ウクライナ戦争はいつまで続くのか。どのように終わるのか。これは多くの人びとの注目点であり、事態が長期化するにつれ、ますます関心は高まっている。
だが、「戦争の終わらせ方」について、筋道立てて論じる機会は少ない。特に戦後の日本では、「戦争をいかに防ぐか」に関心が集中してきた。もとより戦争回避は重要だが、一方で、「不幸にして始まった戦争をいかに収拾するか」を考える「戦争終結論」が軽視されてきたのも事実である。本来は、戦争回避と出口戦略の両方を考えることが必要なはずだ。
そこで、この場では、ウクライナ戦争を過去の事例と重ね合わせたうえで、戦争の「終わり方」「終わらせ方」について、筋道立った分析をしていくことにしよう。
侵攻するロシアの戦車
根本的な解決か、妥協か
では、戦争終結について、実際にはどのように考えていけばよいのだろうか。
歴史上の戦争終結の事例を振り返って、単に「〇〇戦争は一方の国が敵国を打倒して終わりました」「××戦争では休戦協定が結ばれました」「△△戦争ではこうでした」と解説することは可能である。
だがそれだけでは、結局「戦争によって様々な終わり方がありますね」というとりとめもない話でそれこそ終わってしまう。
そこで様々な戦争の終わり方を整理し、一望できるような、分析の「レンズ」が必要だ。それによって、戦争終結への理解を深めることができるし、また歴史からの教訓も得やすくなるだろう。
そのような分析のレンズとしてここで紹介したいのが、「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」という考え方である(詳しくは拙著『戦争はいかに終結したか——2度の大戦からベトナム、イラクまで』中公新書を参照)。
ざっくりいうと、戦争終結には「紛争原因の根本的解決」というかたちと、「妥協的和平」というかたちの2つがあると考える。
このとき交戦勢力のうち、まずは優勢勢力側の視点を入り口にしてみる。戦争がパワーとパワーのぶつかり合いである以上、その方が説明が容易だからだ。念のため言い添えるが、これは優勢側の立場に寄り添うということではまったくない。
「ナチ」呼ばわりの意味
優勢勢力側からすれば、劣勢となった相手をコテンパンに叩きのめし、再起不能にすることが望ましいだろう。そうしておけば、この相手とは今後2度と戦争せずにすむからだ。将来の禍根を絶つことができるわけである。
たとえば、第二次世界大戦において連合国は、敵であるナチス・ドイツの首都ベルリンを陥落させ、ヒトラーを自殺に追い込み、ドイツの主権自体を消滅させるまで戦った。これを「紛争原因の根本的解決」と呼んでおく。太平洋戦争の終結も、日本の「無条件降伏」で終わったからこのカテゴリーに入る。
まさに今回のウクライナ戦争において、ロシアは当初このような終結形態を見据えていた。ロシアは核戦力保持も含め、元来、優勢勢力であると考えられる。
プーチン氏は2月24日の開戦演説のなかで、ウクライナの「非ナチ化」を掲げた。第二次世界大戦においてソ連は、枢軸国に対する無条件降伏政策をとる連合国の一員として、ナチス・ドイツと戦った。実際にベルリンを陥落させたのもソ連軍だった。交戦相手を「ナチ」呼ばわりすることは、共存できない政治体制であり、殲滅すべき敵と言うに等しい。
ロシア側は開戦当初、ウクライナのゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を樹立して、ウクライナの非武装中立化を図るつもりであったとされる。「ウクライナの完全属国化」と言っていい。
実際に3月8日にアメリカのバーンズCIA長官が議会の公聴会で証言したところによれば、プーチン氏はウクライナの首都キーウをわずか2日で陥落させる気だったという。実際の軍事行動でも、ロシア軍はウクライナの民間人を容赦なく殺傷し、原子力発電所にまで攻撃を加えた。
ところが、たとえ優勢側であるといっても、敵を完全に打倒するにはそれなりの血を流すことが求められるだろう。人命の損失を中心とする犠牲を覚悟しなければならない。それがイヤなら、相手と妥協して戦争を終わらせる、という選択肢が出てくる。こうしたケースが「妥協的和平」に該当する。
前述の通り、ウクライナ戦争は、もともと優勢側であるロシアが、彼らの主観における「紛争原因の根本的解決」の「極」、すなわちウクライナの完全属国化をめざすかたちで始まった。
ところがウクライナの徹底抗戦により、ロシア側の、キーウに進軍した場合の想定も含めて犠牲が増大する事態となった。もし、このままロシア側の犠牲が増大し続ければ、戦争終結形態が「妥協的和平」の「極」、すなわち「ウクライナからの完全撤退」の方向へと進んでいくことも理屈のうえでは想定される。
過去の例では、たとえば湾岸戦争で多国籍軍は、イラク軍への攻撃を途中で停止し、クウェート侵攻をおこなったイラクのサダム・フセイン体制を延命させることになった。イラクの首都バグダッドまで進軍することで、多国籍軍側の犠牲が増大することを回避するためだった。これが結果的に、アメリカにとって将来に禍根を残すかたちとなった。
将来の危険と現在の犠牲
ここまで説明したように、戦争終結のかたちは、「紛争原因の根本的解決」か、「妥協的和平」かのどちらかの方向に転ぶ。それを決めるのは、優勢勢力側が「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスをどう見るかだ。
戦争においては優勢側が、敵を生かしておくことで、のちのちこの敵ともっと大きな戦争を戦わなければならなくなるといった「将来の危険」を強く懸念する場合があるだろう。
その際、戦闘継続による自軍の「現在の犠牲」が小さいか、それを甘受できると考える場合は、優勢側は「紛争原因の根本的解決」、つまり相手政府・体制の打倒に向かって進むだろう。
逆に、「現在の犠牲」が大きい割に、敵と妥協することの「将来の危険」がそれほどではないということになれば、「妥協的和平」の方向に進むと考えられる。
戦争の終わり方は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦のように、一方が他方を完全に打倒してしまうケースもあれば、湾岸戦争のようにそうでないケースもあり、様々である。だが実はよく見ると、どの戦争の終結のかたちも、結局のところ「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスをどう評価するかによって決まるという点では、同じなのである。
ここで問題になるのが、「将来の危険」と「現在の犠牲」は、トレードオフ(二律背反)の関係にある、ということだ。
「将来の危険」を除去するためには、いま戦われている戦争で、自分たちが犠牲を払う必要がある。逆に「現在の犠牲」の回避のためには、将来にわたり危険と共存しなければならない。このようないわば「シーソーゲーム」のなかで、実際の戦争終結形態という「答え」を探さなければならない。戦争終結は、「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマのなかで決まる。ここに、戦争終結の真の難しさがあるのだ。
ゼレンスキー氏の決意
では、劣勢勢力側は戦争終結のかたちに影響を与えることはできないのだろうか。たとえばイラク戦争では湾岸戦争と異なり、アメリカなどの有志連合軍は、圧倒的な軍事的優位の下、きわめて短期間でフセイン体制を完全に打倒した。たしかにこうしたケースでは、いったん戦争が始まってしまうと、劣勢側が戦争終結のかたちに及ぼす影響はほとんどない。
一方、たとえ劣勢側であっても、戦局において軍事的に抵抗を示すことができるような場合だと、そのこと自体が優勢側の「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスに影響を与えるだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻開始当初の大方の見方は、ロシアの短期圧勝を予想するものであり、ゼレンスキー政権の亡命も視野に入っていた。ところがゼレンスキー大統領は、キーウにとどまることを決意し、ウクライナ国民も抵抗を選んだ。
「我々は森で、野原で、海岸で、通りで戦う」
3月8日にゼレンスキー氏はイギリス議会でのオンライン演説で、第2次世界大戦下の1940年6月4日にチャーチル首相がおこなった演説の有名な一節を引用した。当時イギリスは、戦局で優位に立つナチス・ドイツを相手に苦境に陥っていたが、チャーチルはヒトラーに屈服せず、国民に抵抗を呼びかけた。
ゼレンスキー氏は、自ら「ウクライナのチャーチル」となる決意を示した。そして西側によるロシアへの経済制裁や、特にウクライナに対する武器供与などの支援が、ウクライナの抵抗を支えることになる。
このためロシアは、自分たちから見た「紛争原因の根本的解決」の「極」の追求という、当初の目的をいったん棚上げして、ウクライナ東部・南部の確保に集中することに転じた。
朝鮮戦争においても、共産側(中国・北朝鮮側)は、本来的には優勢だったアメリカ軍を中心とする国連軍および韓国軍側を相手に、戦線が膠着するまで抵抗することができた。こうした状況は、当時国連軍を指揮したマッカーサー元帥が主張したように、国連軍側の核兵器の使用によって打開できたかもしれない。だがそのような行為に出れば、アメリカと中国のみならず、ソ連との全面戦争に発展し、膨大な犠牲が生じる恐れがあった。
ベトナム戦争でも、北ベトナム側は自分たちの犠牲を覚悟のうえで、アメリカ・南ベトナム側に犠牲を強い続け、結局アメリカはベトナムからの撤退を余儀なくされた。そして両戦争とも、休戦ないし和平協定締結という「妥協的和平」で終わることになった。
以上を踏まえると、戦争終結については、前ページの図のようなスペクトラム(連続体)をイメージすることができる。スペクトラムの一方の端に、「紛争原因の根本的解決」の「極」がある。他方の端にも、「妥協的和平」の「極」がある。
そして戦局の推移によって、両者の「極」のあいだのどこかの地点で「将来の危険」と「現在の犠牲」のあいだのバランスが定まり、戦争が終結することになる。
ゼレンスキー大統領
犠牲を過小評価したプーチン
それでは、ここまで見た戦争終結に関する「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」の考え方を踏まえると、ウクライナ戦争の終わり方をどのように見通せるだろうか。
第1のパターンとして挙げられるのが、ロシアにとっての「紛争原因の根本的解決」の「極」、この場合は「ウクライナの完全属国化」である。
プーチン氏が「根本的解決」の「極」を追求した背景として、「現在の犠牲」を過小評価したことがあったと考えられる。ロシアによる2008年のジョージア侵攻や2014年のクリミア「併合」に際して、ロシア軍の犠牲はほとんど生じなかった。NATO側が、ロシアとの第3次世界大戦を恐れて直接的な軍事介入はしてこないと踏んだことも、プーチン氏の判断を支えただろう。
一方の「将来の危険」にあたるものとして、NATOの東方拡大などに言及されることがある。しかし2月24日の開戦の時点で、ウクライナが近々にNATOに加盟するといった情勢ではなかった。「ウクライナが西側寄りになること自体が許せない」「ウクライナはロシアの勢力圏の一部であるべきだ」といったような、プーチン氏独自の、そして身勝手な世界観に根ざす「将来の危険」であるといえよう。
とはいえ、プーチン氏の主観では、「将来の危険」>「現在の犠牲」という図式が成立してしまった。
開戦直後の2月28日から、停戦交渉がおこなわれたものの、これは「妥協的和平」について話し合う場ではなく、ロシアはウクライナに対して一方的に降伏を受け入れさせようとしていたと考えられる。
ここで劣勢側には、2つの選択がある。優勢側に屈服するか、それとも抵抗するか、である。そしてウクライナは後者を選んだ。
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source : 文藝春秋 2022年8月号