天皇が生前退位の意思を周囲に表明している理由として、高齢による体力の限界と公務上の間違いの発生を挙げておられるとのことだが、もう1つ、そうしたお考えの背景には、昭和の戦争で犠牲になった人々のための慰霊の旅を、自ら望まれた範囲ではあっても、全うしたことをもって、ご自身の歴史的な任務を果たし終えたとの意識もはたらいているのではなかろうか。あくまでも私の推測に過ぎないが。
天皇の慰霊の旅は、日本軍の将兵や軍属、現地邦人の戦死者だけを対象にしていたわけではない。06年6月のシンガポール訪問でも、15年4月のパラオのペリリュー島訪問でも、今年1月のフィリピン訪問でも、激しい戦闘の敵対国の軍人や巻き込まれた現地の人々の霊にも祈りを捧げられた。沖縄や硫黄島にも、慰霊の旅をしておられる。
歴史観や外交関係もからむので、天皇は「戦争責任」という言葉は使われないが、慰霊の訪問先での行動やお言葉から推察すると、昭和天皇がそのお立場から戦争に対する責任を感じつつも、日本の国内的な事情や複雑な国際的な事情からなし得なかった激戦地への遺霊の旅を、今上天皇は遺志を受け継ぐご意思と自らの平和への切実な思いから、ご自身に課せられた歴史的任務とお考えになったのではなかろうか。そう私はとらえてきた。
天皇は、小学校の高学年の時期に戦争末期の時代を過ごされたので、東京大空襲をはじめ日本の主要都市のほとんどを焦土化した空襲の苛烈さをまざまざと知ることができた。さらに中学生時代になると、戦後次々に明らかにされていった太平洋の島々やフィリピンのルソン島やビルマ(現ミャンマー)などにおける熾烈な戦闘の実態について、敏感に関心を向けたに違いない。私は天皇より3学年下だったが、振り返ると、当時の中学生の中には、戦争の実態や社会問題について強い関心を持つ生徒が少なくなかった。その頃、天皇は昭和天皇の皇太子だったことから、リベラルなアメリカ人の女性の家庭教師の教えを受けておられたこともあって、広く世界を見つめる視野と社会的弱者に対するやさしい眼差しを身につけられたと言われる。
震災や水害の被災地を美智子皇后と訪ねられては、被災者に同情と励ましの言葉をかけられる時の腰の低さ、表情と言葉のやわらかさは、決して儀礼的なものではなく、心底からそういう感情を抱いておられるのだということを、私はいつもテレビの映像を見ていて感じてきた。
そういう人間性の豊かな感情を持たれていることが、同邦人だけでなく戦争のすべての犠牲者に対して心底から追悼の祈りを捧げられる思いの根底をなすものであろう。
昭和天皇は、日本の近現代における神格化された天皇の地位を、自ら一般国民と同じ「人間」の地平に降りさせたという点で、歴史的な役割を果たされた。これに対し、今上天皇は、社会的弱者と同じ地平に自らを降ろすことで、苦しむ人々に生き直す力を引き出させるという新しい役割を創出するとともに、昭和天皇の時代の負の遺産と言うべき国籍を超えた戦争犠牲者に対する慰霊の旅を全うすることで世界平和に繋げるという歴史的任務を果たされた。天皇は、そのことを自ら噛みしめられて、ご自身の身を退く時期が来たと判断されたのではなかろうか。
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source : 文藝春秋 2016年09月号