きくはたのし

ハコウマに乗って 第21回

西川 美和 映画監督
エンタメ 映画

 耳年齢というのがあるらしい。年齢に応じて聞こえる音域が変わり、周波数の高い音は聞こえづらくなるという。私が高校生の頃、病床についた90歳の祖父に「おじいちゃん! おしっこ出そう? おしっこ!!」と耳元で幾度叫んでも、「は?」と聞き返されていたのに、柱の陰で実の娘達が「そろそろだって言われて駆けつけたけど、もう4日……」と低い声で囁き合っていると、「いいから帰れ。世話になりました」と祖父は呟いた。言葉が通じづらいと相手の認知力を低く見てしまうが、単に話しかける声が高すぎたのだ。祖父は最後まで正気だった。

 ウェブのサイトでチェックしてみると、私は実年齢よりも耳が老いていた。視覚と聴覚が生命線の商売なのに、困ったもんだ。しかし妙なことに、編集作業などをしていると私に聞こえる音が20代のスタッフには聞こえていないこともある。

「遠くで踏切みたいな音が鳴ってるよね。あれをカットしたいんだけど」

「え、どこですか」

「このセリフとセリフの間、ほら今、今!」

「全然わかりません」

「うそ。聞こえますよねエンジニアさん」

「いやーわかんなかったです」

 うっすらオカルト気質を疑われつつ、波形を調べてもらうとノミ一匹分のノイズの粒が見つかったりもする。歳とともに聞こえ始める音域もあるものだろうか。

 若い頃は、音楽は爆音で聴くに限ると思っていた。しかし「メガ盛りロースカツ丼」のようなものに徐々に反応しなくなるのと並行して、聴覚の情報処理能力、あるいは「聴き欲」そのものが落ちるのか、大きな音や複雑に音の混じったものより、要素の多くない、シンプルなものの方が耳に合う気がしてくる。メガ盛りより小ライス。テレビよりもラジオ。音楽よりも雨の音。少ない情報に耳を澄ます、という感覚が心地よいのだ。

 短編小説のオーディオブックの演出をする機会をもらった。アメリカではかなり前から朗読音源を聴く文化が浸透していたらしいが、それは運転時間の長い国土の広さに根差すもので、日本人には浸透しないと見込まれてきたそうだ。それがコロナ禍で在宅時間が増え、作業や家事や運動をしながらの時間を有効に使おうと、利用者がぐんと増えたらしい。

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source : 文藝春秋 2022年11月号

genre : エンタメ 映画