失われた味を求めて

平松 洋子 エッセイスト
ライフ 社会 グルメ

立ち食いそば、お団子屋、町中華……私が愛する東京の“食の風景”

 終わってしまった。

 今年1月19日、港区虎ノ門で長く愛された立ち食いそば「峠そば」の扉が閉じた。1月中旬、「最後のごま油の一斗缶を使い切ったら閉店」の告知が出ると、名残を惜しむお客が引きも切らず。私が駆けつけたのは20日昼だったが、ひと足遅かった。

 呆然と立ちすくみ、扉に貼られた手書きの挨拶文を読む。閉店の理由は、界隈の地域再開発。汐留、神保町、虎ノ門それぞれの土地で親子二代が「育てて」もらった感謝が綴られ、さらに末尾。

「心残りはいつもお世話戴いてますご常連様が わざわざお越しいただきましてるのに 売り切れで召し上っていただけなかった事で 大変申し訳なく深くお詫び申しあげます お客様の御多幸と御健勝をいつもお祈り申し上げます」

 何度も読み返すうち、目尻に涙が溜まってきた。丹精込めた一杯のそばが、都心のどまんなかでどれほど頼りにされてきたか。なのに、店主は、最後の最後までお詫びと感謝を述べるのである。1年後に日本橋近くの茅場町で再出発しますと書き添えてあるのでひとまず安堵したが、雲母のように歳月が層をなす駅の待合室にも似た空間は、戻ってこない。

 また終わってしまった。大切な場所を失い、力なくつぶやくことしばしばである。そのたびに唇を噛み、喪失の重みに耐えるのだが、うまくいかない。たくさんの友人知人と共有してきた味や時間に対する欠落感だけでなく、失ったものが大なり小なり自分の血肉を形成している確かさを顧み、うろたえるのである。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2023年4月号

genre : ライフ 社会 グルメ