保阪正康「Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想」

文藝春秋BOOK倶楽部

中島 岳志 東京工業大学教授
エンタメ 読書

西部邁とは何者だったのか

 保守思想家の西部邁とノンフィクション作家の保阪正康。戦後日本を代表する論客の2人は、1学年違いで同じ中学校に通っていた。

 場所は札幌。朝7時1分に西部が厚別駅から列車に乗ると、7時12分に白石駅から保阪が乗って来る。7時24分に札幌駅に着き、そこから市電に乗って中学へ通う。その道中が、2人の時間だった。

 当時の保阪は、心を打ち明ける友人がいなかった。家庭では父との関係がうまくいかず、厭世的な気分に陥ることが多かった。そんな保阪にとって「すすむさん」は尊敬する兄のような存在であり、価値観を共有する同志でもあった。

保阪正康「Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想」(講談社)2090円(税込)

 ある時、同じ市電に乗り合わせた米兵が、保阪の帽子をとって自分の頭に載せた。保阪は「帽子を返してください」とも言えず、顔を伏せた。その時、「すすむさん」は自分の鞄を体で抱え、米兵に体当たりした。この時、保阪は「この人は信用できる」と思い、泣きたい気持ちになったという。「泣きたくなったのは、そんなすすむさんの必死の形相がうれしかったからである」。

 2人に共通していたのは、親の意向で校区外から「越境通学」をしていたことだった。このことをよく思わない中学教師は、時に意地悪な態度をとった。「すすむさん」は、理不尽な教師に頑として従わなかった。嫌な音楽教師の授業中、彼は前を見ずにずっと後ろを向いて座った。教師がなじると、「すすむさん」は「うるせえ」と怒鳴り返した。

 2人は、共通の「敵」を密かに確認した。その「敵」は弱い立場の人間への蔑みを持つ人物であり、地位に胡坐をかいた権威主義者だった。世渡り上手な阿りを繰り返す人間も、2人は「敵」と見なした。そして、この感情は、近代日本の中で北海道が受けて来た屈辱と重なった。

 2人は約30年の時を経て、再会する。そこから新たな付き合いが始まり、昵懇の関係になっていった。

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source : 文藝春秋 2023年6月号

genre : エンタメ 読書