筆者は、1887年8月から1995年3月までモスクワの日本大使館に勤務した(ただし、1988年5月まではモスクワ国立大学でロシア語を研修)。
そのとき、ロシア(ソ連)の政治情勢を読み解くために、ベストセラーに関心を持つようになった。ロシア人によく読まれている本は、人々の言語化されない意識を表現しているからだ。
筆者がモスクワに着任した当初は、当時、『諸民族の友好』(月刊文芸誌)に連載されたアナトーリー・ルィバコフの『アルバート街の子供たち』(後に単行本になる。邦訳はみすず書房、全2巻)が爆発的に人気があった。この作品は、ブレジネフ時代に書かれたが、出版許可が下りずに眠ったままになっていた。
すでにゴルバチョフがペレストロイカ政策に着手し、表現の自由に対する規制を緩和していたが、検閲官がこの小説の単行本化を認める可能性はないと見られていた。そこで、単行本に比べれば影響力がはるかに低い、主に少数民族の文芸作品を掲載する『諸民族の友好』にさりげなくこの小説が発表されることになった。当時、ソ連では、雑誌は予約販売制度がとられていた。
予約した部数を刷るために必要な用紙は政府が割り当てることになっていた。この小説が連載されると告知されると『諸民族の友好』の予約部数は1800万部になった。またロシア人は、この雑誌を友人に貸しだし、ぼろぼろになるまで、回し読みをした。
スターリン体制が成立する頃のモスクワを描いた小説だが、ロシア人たちはこの小説を通じて、封印されていた過去の歴史を知ろうとしていた。筆者の経験に照らすと、ロシア人の4人に1人はこの小説を読んでいた。この小説は、スターリン主義的なソ連を内部から崩壊させる過程で大きな影響を持った。
もっとも刷り部数ということならば、ソ連共産党中央委員会の記録は少なくとも年に数百万部は刷られ、また官僚や党活動家も仕事で必要なのでこのような本を買ったので、数字の上ではベストセラーだった。しかし、社会にはほとんど影響を与えなかった。
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source : 文藝春秋 2013年10月号