神学とも通底する思想小説。「色彩」「巡礼」にこめられた意味は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹

ベストセラーで読む日本の近現代史 第2回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 読書

 今年最大のベストセラーが村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋、2013年)であることはまず確実であろう。村上春樹氏の小説は普遍文学を指向している。日本の風土、伝統というコンテクストを離れても、十分理解でき、楽しめる小説だ。特にユダヤ教、キリスト教をバックボーンに持つ欧米で、この作品は思想小説として読まれる。その理由は、前作『1Q84』(新潮文庫)にも共通するが、村上氏が「悪がなぜ存在するか」という問題と正面から取り組んでいるからだ。

 

 キリスト教神学には、神義論(theodicy)という分野がある。神学的な問題の場合、結論はあらかじめ決まっている。神は常に正しい。しかし、現実にわれわれ人間が生きている世界には、確実に悪が存在する。もし神が悪を作ったならば、神は悪魔と同じになる。従って、この世に悪は存在するが、神にその責任はないことを論証するのが神義論の課題だ。神を弁護する作業なので、theodicyに弁神論という訳をあてることもある。

 アウグスティヌス神学の影響が強いカトリックやプロテスタントの神学は、悪を善の欠如と捉える傾向が強い。そうなると善を増大することで悪の駆逐が可能になる。これに対して、ビザンチン、ギリシア、ロシアなどの正教神学では、悪は善の欠如ではなく、それ自体として自立していると考える。キリスト教では人間は、一人の例外もなく罪を負っている。この罪から悪が生まれる。悪魔には罪を持つ人間を支配する権利がある。言い換えると罪を持つ人間は悪魔に人質にとられている。神は悪魔に身代金を支払って人間を解放することにした。この身代金が、神のひとり子であるイエス・キリストなのだ。この身代金説をとると、人間が悪魔から解放された後も、人間の罪は残るので、そこから悪が生じる可能性が排除されない。この世には悪が存在し続け、悪魔と手を握るヒトラーやスターリンのような人間が出てくるのである。このような悪の問題に真剣に取り組んだのがドストエフスキーだ。しかし、ドストエフスキーは神やキリストについて過剰に語る。これをキリスト教信仰の証ととらえてはならない。古代ユダヤ教において、ヤーウェという神の名は、エルサレムの神殿で大祭司が1年に1度だけしか唱えてはいけないという縛りがあった。ドストエフスキーは、神を信じることができないから、神やキリストについて過剰に語るのである。これに対して、村上春樹氏は、『色彩を持たない……』の中で、悪の実在について掘り下げた考察をするが、神についてはほとんど語らない。それ故に、ユダヤ・キリスト教文化圏において村上氏は神について真剣に考えている作家と受け止められるのである。

 ここでは、悪が関係性から生まれることが描かれている。主人公の多崎つくるは、名古屋の高校時代に、アカ、アオ、シロ、クロと5人で、親友グループを作っていた。高校卒業後、親友4人が名古屋にとどまったのに対し、生まれた土地を離れて東京の工科大学に進学したとき、多崎つくるは、自発的な意思によって形成されたアソシエーションに属していると考えていた。確かにこのグループには、〈学習能力や学習意欲に問題がある子供たちを集めたスクールの手伝いをする〉という目的があったので、アソシエーションの要素もある。しかし、同時に名古屋という場所に結び付いたコミュニティでもあるのだ。グループが成立している名古屋から離れた多崎つくるが、「追放される」、すなわち共同体から排除されるのは必然的なのである。

 多崎つくるは、36歳になって、恋人の沙羅の強い勧めによって、現在も生きている3人(シロは名古屋を離れ、浜松で働いていたが、何者かによって殺害された)と会い、追放の真相を知るための調査を始める。ちなみに、沙羅は多崎つくるに外部から超越的に介入する神のような存在だ。調査の初期段階で、シロがつくるにレイプされたという虚偽の訴えをしたことが、追放のきっかけだったことをつくるは知る。しかし、これはあくまでもきっかけで真の原因ではない。なぜなら、残り3人はシロの告発が真実ではないと最初から感じていたからである。罪がない多崎つくるがなぜ苦難を背負わなくてはならないのか。それは、人間と人間の関係が絶対悪を創り出す力を持っているからだ。つくるは、東京に出ることで、この悪を創り出す関係からは抜け出した。その結果、得た苦難は同時に救済なのである。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』というタイトルのうち、「色彩」と「巡礼」がこの小説の主題になっている。つくるは、色彩を持たない(あるいは透明という色彩を持つ)。しかし、多崎つくるという人間は、確実に存在している。これは、目には見えないが、確実に存在するものがあるという思想、中世のリアリズム(実念論)に通底する。目に見えないものを可視化するのは難しい作業である。そのために村上氏は、さまざまな表現を駆使し、舞台設定を変えて、可視化の作業を進める。

 例えば理学と工学の二項対立を立てて、目に見えないが確実に存在する世界を理解することに疎いつくるの姿を浮き彫りにする。ここでつくるの対論者(オポネント)として登場するのが工科大学で物理学を学ぶ灰田文紹だ。

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source : 文藝春秋 2013年11月号

genre : ニュース 社会 読書