19世紀末に稲垣満次郎という日本の外交官がいた。地政学的思考に秀でた明治時代の日本の戦略家である。
父は平戸藩士。ケンブリッジ大学留学後、学習院嘱託教授。その後、外交官に転じ、シャム公使、スペイン公使を歴任、マドリッドで客死した。
その彼が端正な英語で書いた本がある(『Japan and the Pacific, and a Japanese View of the Eastern Question』1890)である。
この中で、稲垣は「オーストラリアは日本にとってかくも重要な近隣国の一つになりつつあるのに、なぜ日本はオーストラリアともっと密接な関係を構築しないのか不思議だ」とし、「両国が手を握れば、将来は太平洋交易の要所を押さえることになるだろう」と主張した。南北シーレーンの確保による海洋国家戦略を提唱したのである。
稲垣の主張は、日英同盟という形で部分的に実現するが、日豪提携論は長い間、日の目を見なかった。1920年代以降、オーストラリアにとって日本は「北の脅威」となったし、日本はオーストラリアの白豪主義に敵意を抱いた。太平洋戦争が始まると、日本はダーウィンを爆撃した。戦後は、戦時中の豪兵捕虜虐待がトゲとなった。
日豪関係が大きく変わったのは1989年のAPEC閣僚会議の開催からである。日本は、その頃、アジアで強まり始めたアジア主義がアジアと太平洋を分断する危険を嫌った。一方、オーストラリアはアジアの一員として認められることを目指した。APECは、そうした両国の理念と利害が重なって生まれた「アジア太平洋地域アーキテクチャー」だった。
それから4半世紀。この7月、安倍晋三首相はオーストラリアを訪問、アボット首相との間で発表した共同声明で両国の「特別な関係」を宣言した。
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source : 文藝春秋 2014年9月号