「ユダヤ人」に託した高度成長期日本への「預言書」『日本人とユダヤ人』イザヤ・ベンダサン

ベストセラーで読む日本の近現代史 第10回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
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 1970年5月、東京市ヶ谷の山本書店から『日本人とユダヤ人』と題する本が出版された。山本書店はキリスト教関係の専門書を刊行する小さな出版社で、著者は、イザヤ・ベンダサンという無名のユダヤ人だ。ベンダサンは日本に生まれ育ち、太平洋戦争直前に米国に帰国した日本語に堪能なユダヤ人と言う触れ込みだった。

 山本七平ライブラリー版『日本人とユダヤ人』の解説で、向井敏氏が本書がベストセラーになる過程について記している。

〈はじめはひっそりと登場した『日本人とユダヤ人』だが、二か月とたたぬまにしきりに人の口の端にのぼりはじめ、たいして売れはしないだろうと初版部数を控えめに抑えた版元の思惑をくつがえして、つぎつぎと版を重ねだした。藤田昌司が『ロングセラー そのすべて』(初刊昭和54年、図書新聞社)で調べたところによれば、その火付け役になったのは外務省の地階の売店で、次いで通産省地階の売店に飛び火し、さらに丸の内界隈の書店へと拡がっていったという。折から日米繊維交渉が難航し、日米互いにその言い分を譲らないという状況のなかで、日本人とユダヤ人、ひいては欧米人との思考方法の違いを説いたこの本が、まず外務通産両省の役人や貿易商社のビジネスマンの興を誘ったということだったらしい。何だかできすぎた話だが、ありえないことではない。〉

 

 筆者が外務省に入ったのは、1985年のことだ。外務省研修所の指導官から配られた日本人と外国人の文化の差について知るための参考文献一覧に『日本人とユダヤ人』が入っていた。また、先輩の外交官から、「君は同志社の神学部出身なんだってな。イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』について、どう思うか」と尋ねられたことがある。筆者は「神学も分野が細かく分かれています。私は一般の学問だと哲学に近い組織神学を専攻したので、旧約聖書やユダヤ教についてはよくわかりません」と言って逃げた。

 旧約聖書学の基礎知識があり、現代のユダヤ教、ユダヤ人社会の現状について知っている人が『日本人とユダヤ人』を読めば、著者は旧約聖書に関する造詣が深いが、現在のイスラエル建国の理念となったシオニズムに関する知識がほとんどないことに気づく。

 筆者が大学院神学研究科1回生のときに『日本人とユダヤ人』を徹底的に批判した浅見定雄氏(当時、東北学院大学教授)の『にせユダヤ人と日本人』(朝日新聞社、1983年)が上梓された。筆者たち神学生は、この本を熟読した。浅見氏は、東京神学大学と大学院を卒業した後、米国のハーバード大学で旧約聖書を研究し、神学博士号を取得した専門家だ。旧約聖書学や、イスラエル事情に関する知識を用いて、本書の内容を批判する。この点に関しては、浅見氏が優勢だった。山本氏の翻訳を取り上げ、英語力が基準に達していないと非難する。山本氏の、人格、能力を全面的に否定する浅見氏のアプローチに筆者は違和感を覚えた。

 浅見氏は、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏を激しく批判する理由について、〈このような人(中略)が気のきいた「知識人」として歓迎されている間に、日本の国が取り返しのつかない方へ持って行かれてしまうことを恐れるからである。ファシズムは、似而非(えせ)学者・文化人の言論の横行に支えられてやって来る――これは歴史の教訓である〉と述べる。

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source : 文藝春秋 2014年7月号

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