二月半ばに朝のテレビニュースを見ていたら、リビアの海岸の砂浜にオレンジ色の囚人服を着せられ一列にひざまずかされた二十一人のコプト派キリスト教徒のエジプトの男たちが、いっせいに首を斬られる光景が映し出された。しかし、この種の蛮行では刑執行直前になされる首斬人のスピーチだけは、いつものイラクの砂漠でのものとはちがっていたのである。短刀を突き出して脅す黒覆面の男は英語で、この向う側にはローマがある、と言ったのだ。
それはそうでしょう。北アフリカのリビアから見れば地中海をはさんで向い合っているのはイタリアなのだからと思ったが、翌日からのツイッターは、われわれは今やローマに向けて進軍中、というスローガンで埋まることになる。つまり、イラクやシリアのことかと思っていた「イスラム国」による攻勢は、今や北アフリカにまで迫っていると言いたいのか。
歴史を経ることで人間は進歩するとは思っていない。それどころか、しばしば大幅に退歩してしまい、その後で再び前進を再開するのが人間の歴史だと思っているくらいだ。とは言っても、一千年以上も昔の暗黒の中世にまで逆もどりというのもヒドイではないか。あの時代と現代のちがいは、当事者の多くがウェブ世代に属すということくらいで、それ以外はまったく変わっていない。異教徒でも同じイスラム教徒の異端でも人間ではなく家畜と同等とされ、ゆえに奴隷にされても斬首に処されても仕方なく、捕えた人間は身代金を払うならば釈放、というのも変わっていない。また、攻勢の最終目的地がローマというのも、彼らが最大の敵と考えているキリスト教の本山がローマにあるヴァティカンだからなのだ。
ちなみにイスラム教徒の宗教上の最高指導者とされている「カリフ」だが、彼らはカリフを、キリスト教徒にとってのローマ法王のような存在、と考えてきた。ところがそのカリフは、『十字軍物語』を書いていた当時の私が大好きだったサラディンによってまず骨抜きにされ、近代になるやトルコのアタチュルクによって制度自体が廃止になる。こういうわけでイスラム世界は、キリスト教世界のローマ法王のような存在がいないままで過ぎてきたのである。それで現代のイスラム過激派は、イスラム世界が分裂しているのはカリフが不在だからだと思いこんだらしい。「イスラム国」が自称カリフをトップにいただいているのも、彼らのこの面での願望を示しているのだと思う。キリスト教世界だってローマ法王はいても対立ばかりしてきたのだが、黒服に身を固めた現代のイスラム過激派は、他の文明の歴史には興味を抱かない人であるらしい。
いずれにしても、歴史はそのままではくり返さないものなのだ。一千二百年昔とちがって現代では、いかに地中海の向う側で大声でわめこうと、長靴の形をしたイタリア半島のつま先に位置する、地中海最大の島シチリア全土の占領までは考えないだろう。彼らは「攻め」には強くても、「守り」には弱い気がする。サッカーも音楽も美容院もタバコも厳禁という日常を、信心深いと自負するイスラム教徒でも長くは我慢できないと思うのだ。
とは言っても今や彼らは「攻め」の真最中である。ならばこちらも十字軍で反撃するか、となっては、われわれのほうも中世に逆もどりしてしまうことになる。なにしろ難民に経済援助をしただけなのに、お前の国も十字軍だ、と決めつける相手なのだから、今のところは打つ手はほとんど無い。
イタリアの現政権は難問漬けの状態だ。国内にかかえる大量の失業者に加え、北アフリカから続々と海を渡ってくる難民は人道上断わることもできず、それが今や「ローマに向けて進軍中」などと言われ、彼らの誰かが難民に紛れこんで来て聖ピエトロ広場で自爆騒ぎでも起したらと思うだけで、陽気なローマっ子たちの顔も冴えない。
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source : 文藝春秋 2015年4月号