色事を語る男と女の肉声は、かくも生々しい
男がどう女がどうと語ることが好ましくないとされるようになって久しいとはいえ、つい男がどう女がどうと話を始めてしまうことの一つの要因はおそらく私自身の経歴にある。ポルノ女優として働きだす前から、女子高生時代はマジックミラーの向こう側にいる成人男性に微笑みかけ下着を売り、大学入学と同時にホステスとして飲み屋に出勤し始めた。女生徒の下着を売る店で男と女は間をマジックミラーで隔てられていたし、キャバクラにやってくるお客が求めるのは女以外の何者でもない存在だった。自分とは全く異質の生物が持つ欲望をごく表面的に捉えてそれを露骨に体現してみせることに始まった私の男との関わりは、男の作った会社で働き、自分の選んだ男と暮らすような経験を経ても、未だ根底にはどこか変わりきらないところがある。
かたや社会学の大学院でジェンダー論などを学びながら、男の欲望が作り出した産業の中で与えられた女の役目を演じようと試行錯誤する青春の日々は、そのどちらも今一つ信じきれないような奇妙な感覚を私の中に育てた。男の幻想のために自分の心身を犠牲にすることは最早できないが、男の生理を理解しようと思わなければ自分の幸福も叶わない。しかし理解したつもりになったそばから生身の男たちは私の想像を軽々と超えていく。結局女としてしか生きていない私に男のことなど理解はできないという小さな絶望が私の中から消えたことがない。
ポルノ業界の女たちについて本を書いて以来原稿料をかき集めて生活するようになったが、私は今も女の性や恋愛、あるいは性の商品化についてばかり考えている。女の行為や姿、あるいは言葉を眼差すことは、その先にぼんやりと浮かび上がる男を捉えようとすることでもある。そして読んだり書いたりするたびに私は女についても男についても全く無知で無理解であった自分を知る。その贖罪のようにまた読んだり書いたりを繰り返している。
元来分かり合うことがないはずの男と女が、全く異質な生理と欲望を持ち寄って一つの部屋を作り上げる恋愛や、それぞれにとって無理で不自然な規律をあえて取り入れる一夫一妻婚は、見るからに難解で痛々しい作業である反面、外からは理解し得ない煌めきを放つことがある。何も私は男女の区別を不要とする態度を否定したいわけではないし、まして恋愛が異性間にこそ起こるべきと思ったことはない。ただマジックミラーを隔てた向こう側で私には到底わからない論理で並び、こちらにいる女の私たちを見つめていた男は、理解できないが故に恐ろしく、また好奇心をかきたてられる対象であったし、交わり得ないと思っていたこちら側とあちら側が交わろうとする恋愛には特に魅了されるというだけの話だ。
誰もが論者になりたがる
100周年を迎えた『文藝春秋』には膨大な量の男と女の肉声が蓄積されている。文芸雑誌としての起源を持ち、経済から科学などあらゆる分野の人間が紡ぎあげてきた雑誌だが、どの分野に軸足を置く者でも、人間である以上、恋や愛や性について全くの部外者ということはない。それらの声は人間と人間が繋がろうとする最も尊い歴史のように読むこともできるが、女の受難を数えることもできるし、古今東西ダメ男比べのようにも読める。100年訴えても変わらない苦悩や悪癖に呆れもするが、理解不能と一蹴してしまいたくなるほど多様な男女のあり方に、やはり現在を生きる自分の狭い視野を恥じる。
ひとつ恋愛の面白いのは誰もが実践者となって語ることができるだけでなく、誰もが論者として自らの思想や理論を展開したがることだ。専門家を名乗る者も稀にいるが、彼らが展開する恋愛論よりも、あらゆる領域で活躍する者たちが素人として語る生々しい現実とその現実を生き抜いたうえでこぼした一言のようなものが歓迎される分野でもある。
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source : 文藝春秋 2023年7月号